閉鎖、その後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 02:26 UTC 版)
1985年の東京ドームの建設開始以降、ドーム化などの再開発が検討されたものの、球場付近には遺跡がある可能性が高く、発掘調査に5年以上の期間が想定された。そのため、日本生命は将来の本球場のあり方に議論を重ね、1991年3月に球場以外の用途での再開発計画を発表し、1996年10月に翌1997年限りで球場を閉鎖することを決定した。施設の老朽化が進んだことや耐震基準を満たしていないこと、加えて維持費もかさみ、さらに大阪ドーム(現:京セラドーム大阪)や舞洲ベースボールスタジアム、大阪市南港中央野球場など新しく広い球場が大阪に建設され、47年間の野球場としての使命を完遂したと判断した。 最後のプロ野球公式戦は、1996年5月9日の近鉄対ダイエー戦(ナイター)だった。その試合後、敗戦に激怒したダイエーファンがダイエーの選手が乗るバスに生卵をぶつける事件が発生した(福岡ソフトバンクホークス#生卵事件を参照)。そして、日本野球機構における専用球場の指定も同年限りで抹消された。 1997年11月8日に第7回全日本アマチュア野球王座決定戦が開かれ、関西学生リーグを制して第46回全日本大学野球選手権大会に優勝した近大が三菱重工神戸を5-4で破り、この試合が本球場最後の公式戦となった。同年12月31日に球場は閉鎖され、翌1998年1月31日に株式会社日本生命球場が解散。5月に清算が結了した。 「東の神宮、西の日生」または「関西アマチュア野球のメッカ」と呼ばれる存在であったことから、閉鎖決定前に各アマチュア連盟に行った調査に対して、各連盟は交通の便が良いことなどを挙げ利用継続を希望した。しかし、学生野球が積極的に利用していた本球場は閉鎖され、さらに2000年代以降は近隣の阪急西宮球場や藤井寺球場も閉鎖されていき、関西の学生野球は球場確保に苦労するようになる。 跡地には分譲マンションのモデルルームやコインパーキングが設けられていたが、北側については2013年2月28日に日本生命と東急不動産が跡地活用について事業用定期借地権を設定することに合意。「球場の記憶を継承し、地域に愛され、ともに発展していく」商業施設として再開発されることが両社から発表され、2015年4月27日に「もりのみやキューズモールBASE」が開業した。南側には、スーパーマーケットのライフセントラルスクエア森ノ宮店と家電量販店のエディオン森ノ宮店が出店している。 また、本球場のあった地域の周辺歩道では写真にあるような野球場をモチーフにした舗装パネルが敷かれ、当時の面影を垣間見ることができる。
※この「閉鎖、その後」の解説は、「日本生命球場」の解説の一部です。
「閉鎖、その後」を含む「日本生命球場」の記事については、「日本生命球場」の概要を参照ください。
- 閉鎖、その後のページへのリンク