日本の受容
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「イグナツィ・パデレフスキ」の記事における「日本の受容」の解説
瀧廉太郎は、パデレフスキの演奏をライブで聴いた初めての日本人らしい。1901年11月17日鈴木毅一宛書簡には「先日 当今欧州にて非常に有名なるピヤニストPaderewsky(パデレウスキー)を聴き申候 さすが上手なりされど驚く程の音楽者ならず Chopinをひく事一番上手なり Beethovenをひく事まづし大ピヤニストでハなく良きピヤニストなり」とあった。滝廉太郎の「Beethovenをひく事まづし」と記された感想から36年後、ベートーヴェンの月光ソナタを放送リサイタルで披露している。放送リサイタルでは、パデレフスキが自分で用意した即興演奏の後に、月光ソナタを続けて弾いている。 野村あらえびすは「演奏は巨人的な見事さであったが、作曲は華麗で外面的であまり良いものはない。」と評している。 中村紘子の著書『ピアニストという蛮族がいる』では、晩年のパデレフスキの演奏がダメになったという記述が見られる。1936年に白黒フィルムでパデレフスキの演奏が遺されているが、指の速度が確かに落ちていても風格のあるアゴーギクや美しいタッチは衰えはない。その演奏後は全ての聴衆がスタンディングで拍手を捧げており、彼の人気と名声の大きさが伺える。ただし、この映像は映画『Moonlight Sonata』(邦題『月光の曲』、(1937年)のワンシーンとして撮影されたものなので、観客の反応などは演出されたものである可能性は高い。なお、宮城道雄は日本封切時にこの映画に接しており、随筆の中でパデレフスキの演奏を絶賛している。 一方、政治家としてのパデレフスキの評価は、丸山眞男が平凡社『政治学事典』の中で、「パデレフスキーのように、なんら政治的資質と関係のない声望…だけでリーダーシップの地位にのしあがることもおこりうる」として挙げているが、ただし、ここでの丸山はパデレフスキの一連の政治キャリアを知ってか知らずか完全に無視しており、まったく言及していない。パデレフスキはSP録音時の伝聞情報(よくあるものに「作曲とピアノどちらも大したことがなかった」「三つしかなかったピアノ・コンチェルトを一日10時間以上練習して2桁にした」「晩年の演奏はだめだった」「校訂も主観が多い」など)が多くの日本人に広まってしまい、パデレフスキ研究に基づいた正確な事実関係が、現代の日本にも広まっているとは言い難い。 パデレフスキのSP録音は日本でも当時から入手でき、プロアマ問わず高い人気を誇っていた。 2016年、日本パデレフスキ協会が設立された。
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日本の受容
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中田喜直の「実用和声学」、あるいは全音楽譜出版社刊ドビュッシーのピアノ楽譜の解説他で松平頼則が使用した和音記号はこのシステムに近似している。数字付き低音とローマ数字の合体、という点においてはウォルター・ピストンほかの発想と大差ない。ただし、数字の位置や大文字と小文字の区別など、微妙に逸れる点も多い。池内友次郎は数字付き低音とローマ数字を共に書く記譜法を採用しているが、システムは異なる。
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日本の受容
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「ポスト・ファーニホウ」の記事における「日本の受容」の解説
1990年代になってから、他国のポスト・ファーニホウの作曲家たちの成果が日本に伝えられると、日本でも影響を見い出すようになった。 福井とも子の「弦楽四重奏曲第4番」は、彼女の創作の中でファーニホウやヒュープラーの影響が鮮明な唯一の例外と思われる。川島素晴は「夢の構造第2番」で第2期のファーニホウを参照していたが、ファーニホウの書法の欠陥を客観的に指摘できるようになってからは、「演奏行為の連結」といった別の方向へ関心を移した。山口淳の一時期の作品も、ファーニホウやヒューブラーの作品のような複雑性に満ちていたが、日本の伝統音楽の影響から音の余韻を聞き込む態度に執心するようになり、この路線から離れた。 第3世代からやや遠く離れた1983年生まれの木山光は、ジャングルやテクノなどのリズム感をファーニホウ的書法とブレンドし、極度に演奏の困難なピアノ作品を書いた。
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