日本でのフランス文学とは? わかりやすく解説

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日本でのフランス文学

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 23:42 UTC 版)

フランス文学」の記事における「日本でのフランス文学」の解説

フランス文学者」および「日本の近現代文学史」も参照 開国以前日本フランス文学との接触はほぼなかったが、明治政府文部省1877年明治10年)までに28人のフランス人お雇い外国人として招致しフランス語教育行った1878年明治11年)には、横須賀造船所黌舎フランス語習得した川島忠之助によりヴェルヌ八十日間世界一周』が原文から翻訳される1882年明治15年)には、江戸幕府語学所学頭からフランス語学んだ中江兆民ルソーの『社会契約論』を翻訳紹介し自由民権運動理論的支柱となった1889年明治22年)には帝國大學現在の東京大学)に仏文科設置される当初不振であったが、1923年日本人初の教授として辰野隆迎えて以降岸田國士鈴木信太郎三好達治渡辺一夫小林秀雄太宰治中退)、中村真一郎福永武彦澁澤龍彦大江健三郎蓮實重彦などの文学者フランス文学紹介者を輩出した1901年明治34年)よりデュマ巌窟王』、翌1902年よりユーゴー噫無情』が黒岩涙香翻案により新聞萬朝報』に連載され大衆的な人気を博す。またゾラモーパッサンらの自然主義文学影響から日本でも島崎藤村破戒』(1906)や田山花袋蒲団』(1907)などの自然主義小説書かれたが、『蒲団』における私生活赤裸々告白衝撃により以後告白側面が強い「私小説」へと転じていった。ゴーティエの「芸術のための芸術」は芸術至上主義として形成期日本文壇議論の的となり、石川啄木時代閉塞の現状』(1910)、芥川龍之介河童』(1927)、萩原朔太郎詩の原理』(1928)など数多く言及がある。 1905年明治38年)には上田敏訳詩集海潮音』で7編の「象徴詩」を日本紹介した。1907-8年に銀行員としてパリ渡った永井荷風はその経験から『ふらんす物語』(1909)を著し1913年大正2年)には訳詩集珊瑚集』で象徴派以降フランス詩をまとまった形で日本紹介した堀口大學1918年訳詩集昨日の花』を皮切りに月下の一群』(1925)などフランス詩の精力的な翻訳紹介行い、これらの訳詩近現代詩の形成大きな影響及ぼしたボードレール巴里の憂鬱』(1929)を訳した三好達治と『ランボオ詩集』(1933)を訳した中原中也口語自由詩散文詩開拓者となった戦争勃発後も、フランス日本にとって敵性国家となったのが遅かったため、戦時中にもヴァレリー全集刊行続きジッドの『狭き門』や『田園交響楽』が女学生愛読書となるほど人気集めた敗戦直後翻訳出版が再び活発化したが、GHQ米国暗黒面描いたものや占領政策相いれない主張アメリカ文学翻訳出版許可せず、ロシア文学出版にも干渉したため、フランス文学翻訳中心となり、GHQ出版統制が強まる1940年代末まで活況呈した

※この「日本でのフランス文学」の解説は、「フランス文学」の解説の一部です。
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