黌舎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/14 01:25 UTC 版)
造船所内には技術者養成のための教育機関「黌舎(こうしゃ)」が設けられた(黌はまなびやの意)。ヴェルニーを校長に、明治3(1870)年に、ヴェルニーの母校であるパリの技術者養成学校「エコール・ポリテクニク」を模範として設立され、造船技術や機械学、製図法などの技術のほか、フランス語を教授した。入学資格は原則として13歳から20歳までで、衣食住は官給制であった。技手らを養成する「職人黌舎」と呼ばれる学校も併設され、明治10年代以降は多くの職人生徒も入学するようになった。1888(明治21)年に閉校するまで、約100人が卒業し、海軍省や大蔵省、外務省などへの入省者が多かったことや、100人に数人程度しか入学が認められなかったことからエリート学校とも評されていた。出身者には恒川柳作や辰巳一をはじめとしたエリート技師のほか、海軍省から横浜正金銀行リヨン駐在員となり、『八十日間世界一周』の初邦訳者としても知られる川島忠之助などがいる。黌舎はのちに工部大学校に吸収され東京帝国大学工学部造船学科となり、日本の造船技術をリードした。
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