戦後日本の中国学中国研究とは? わかりやすく解説

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戦後日本の中国学・中国研究

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/04 08:28 UTC 版)

中国学」の記事における「戦後日本の中国学・中国研究」の解説

一部例外はあるものの、大勢において植民地支配戦争体制協力することで発展してきた近代日本中国学は、1945年敗戦日本帝国解体により大きな打撃受けた。特に国策研究としてさまざまな援助受けてきた現状分析的な中国研究は、敗戦後それまで蓄積してきた資料占領軍ソ連軍などにより没収された。また戦後一時期それまで深い政治的経済的関係持っていた中国との交流断たれたことから、中国さらに中国研究への社会的関心低下した。また現状分析的研究比べ時局要請との関わりがやや薄かった古典学的「支那学」も一時衰退よぎなくされ、京大シナ学中心とする雑誌支那學』は休刊となり、支那学会も休眠状態に陥ったこのような状態でいち早く活動始めたのは主として戦時期に満鉄調査部東亜研究所などのシンクタンク属していた、左派的・マルクス主義傾向をもつ研究者たちであった平野義太郎中西功岩村三千夫らは1946年中国研究所(中研)を設立し現代中国研究おこなった古典学方面でも1947年東方学会1948年日本中国学会設立された。ただし、これらの学会では主として中国思想・文学研究する人々結集しており、一方中国史研究者たち戦前以来東洋史研究会歴史学研究会など歴史学会拠点として活動し、「世界史」的観点からする「時代区分論争」など活発な議論戦わせた。1950年代以降日本アジア諸国との関係が復活してくると、アジア地域現状対す関心高まり現代中国研究団体機関としては、先述の中研に加え1951年には中研を母体とする現代中国学会(現、日本現代中国学会)、1953年には戦後導入されアメリカ流の地域研究影響を受けアジア政経学会発足した。そして岸内閣アジア重視外交背景に、最大アジア地域研究機関であるアジア経済研究所1958年発足しこの中で中国研究大きな位置占めることになった戦後日本中国学特徴としては、一つには近現代文化対す研究盛んになったことが挙げられる。そのため、それまで研究者比較明確に別れていた古典学現状分析の2領域境界次第不分明になり、両者協力して研究プロジェクト進め機会多くなっている。次いで中国社会主義政権誕生した影響により、マルクス社会科学影響強くなった点も特徴である。しかしこのことは特定の政治的価値観に基づく研究増えるという結果もたらし例え新中国における文化大革命評価巡り中国学者中国研究者たちが二分され不毛な対立繰り返すというような事態生んでいる。

※この「戦後日本の中国学・中国研究」の解説は、「中国学」の解説の一部です。
「戦後日本の中国学・中国研究」を含む「中国学」の記事については、「中国学」の概要を参照ください。

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