戦後日本のジャズとは? わかりやすく解説

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戦後日本のジャズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 07:22 UTC 版)

ジャズ」の記事における「戦後日本のジャズ」の解説

戦後ジャズカントリーハワイアンなどのアメリカ音楽が、日本入ってきた。進駐軍音楽は、「ベース」で演奏された。戦後の日本ジャズ早い例には、ニュー・パシフィック・ジャズバンドがあげられる弘田三枝子伊東ゆかりしばたはつみ少女歌手として、米軍キャンプ歌った戦後は、服部良一作曲したブギウギ笠置シヅ子に歌わせたことから始まる。江利チエミジョージ川口ティーブ釜萢ムッシュかまやつの父)、ナンシー・梅木世良譲などのすぐれた歌手演奏家などが出、ジャズ大衆化した一時期は、外国ポピュラー音楽をすべて「ジャズ」と呼ぶ風潮広がったほどである。また、ディキシーランドジャズ・バンドが数多く生まれている。 鈴木章治とリズムエース、北村栄治らも音楽活動始めた宮沢昭守安祥太郎らも活躍した1956年穐吉敏子が、1962年渡辺貞夫バークリー音楽院(現バークリー音楽大学)に留学1963年には松本英彦モントレー・ジャズ・フェスティバル出演する等、国際的に活動するミュージシャン増えていった。八木正生猪俣猛らも活躍した1960年頃、アート・ブレイキーモーニン1958年発表)のヒットにより、ファンキー・ブームが起こった1961年発足翌年改名したミュージシャンたちの勉強会 新世紀音楽研究所改名前はジャズ・アカデミー)に集った高柳昌行富樫雅彦日野皓正菊地雅章山下洋輔らが、毎週金曜日銀巴里ジャムセッション行った日野皓正は、そこが自身原点だと述べる。 1965年ニューポートジャズフェスティバル日本人ジャズシンガーとして初め出演したのは、3日目トリビリーテイラートリオ一緒に出演した弘田三枝子だった。1960年代70年代から日本でもフリー・ジャズ盛んになってくる。日本フリー・ジャズ先駆者となったのは、阿部薫高柳昌行らである。1970年代後半になるとフュージョン・ブームとなり、渡辺貞夫らもフュージョン・アルバムを出すほどだった。中央線沿線拠点とするミュージシャン多く登場し1980年代後半新星堂プロデューサーが続に中央線ジャズという言葉提唱した21世紀に入ってからも、H ZETTRIO山中千尋矢野沙織寺久保エレナ上原ひろみ国府弘子西山瞳、菊地成孔小曽根真らが活躍した

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