戦後の復活・民放発足によるラジオ浪曲のブーム
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「浪曲」の記事における「戦後の復活・民放発足によるラジオ浪曲のブーム」の解説
1945年(昭和20年)太平洋戦争敗戦後は一転、GHQに「前時代的、反動的」と他の演芸と同様に疎まれる存在となる。しかし、その体制下でも地方巡業を中心にした大家は「所得番付」に多く顔を出すなど、農漁村を中心に根強い人気を維持する。 1951年(昭和26年)の民放ラジオの登場と共に、その根強い大衆的人気から、広沢虎造の俗称「虎造アワー」や、新進浪曲師国友忠の「銭形平次」、広沢菊春の「姿三四郎」などの連続浪曲読み番組、素人の浪曲のど自慢番組(ラジオ東京浪曲天狗道場など)が続々と編成され、全国放送のNHKも巻き込んだラジオ浪曲のブームとして昭和30年代初頭に再び最盛期を迎える。大阪では先行する民間放送2社が熾烈な争いをする中、共同でNHKを含めた聴取率調査が行われ、ABC(朝日放送)「漫才学校」57.5%.NJB(のちの毎日放送)「浪曲ごもくめし」44.8%.同NJB「浪曲演芸会」41.3%.と漫才と並んで浪曲が大人気で当時の好みがわかる。トップ20にはABCが9本、NJB8本、NHK3本と入っていて既に民間放送がNHKを凌駕していた。 曜番組名放送局聴取率火 浪曲天狗道場 ラジオ東京 23.8% 木 浪曲学校 文化放送 12.8% 月 浪曲十八番集 ラジオ東京 11.4% 火 歌のパラダイス ラジオ東京 10.3% 木 歌謡ベストテン 文化放送 10.0% 土 浪曲次郎長伝 ラジオ東京 9.8% 木 私と貴方の三つの歌 文化放送 9.6% 火 歌の風車 ラジオ東京 9.4% 日 浪曲歌合戦 文化放送 9.2% 民放ラジオ番組の聴取率ベストテンに5つもランクインする。「浪曲天狗道場」は1957年度(昭和32年)に断トツの聴取率23.8%を記録する。再びお茶の間を席巻し、巷間で「銭湯に行けば、虎造の『〽旅ゆけば』を真似した声が湯船で必ず聞こえる」と言われたのは戦後のこの時期であった。また当時の子どもはみな、虎造の「〽旅行けば~」や二代目玉川勝太郎の「〽利根の川風たもとに」といった外題付けを知っていた。 昭和30年代中頃までは、どんな小さい街にも劇場があり、ほとんどは映画館である。街によっては芝居小屋もあった。芝居小屋がなくても映画館には芝居がかかったり、浪花節(浪曲)や流行歌の公演がおこなわれたりもしていた。公民館や体育館などでも、よくそういう芸能公演があった。レコード吹込みやNHK・民放ラジオ・映画というメディアに露出する一握りの浪曲師に人気が集中する一方、この時期にもまだ浪曲の門付けをしたという証言が複数あるなど、ラジオ浪曲のブームに乗らない大半の浪曲師は、高度成長の開始とともに衰退していく。 銀座歌舞伎座、大阪文楽座、浅草国際劇場など大劇場で戦前に引き続き「浪曲大会」が定期的に開かれるなどする。
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