戦後の復旧と発展
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/27 09:56 UTC 版)
「京成バス千葉営業所」の記事における「戦後の復旧と発展」の解説
戦後は、休止路線の復旧と並行して新路線の開通が徐々に進められていった。特に、市街地における伸びが著しく、終戦直後に市街線(稲毛 - 作草部 - 京成千葉駅)の運行が開始されたのをきっかけに、1952年(昭和27年)には循環線が西千葉・作草部方面をまわる新しいルートとなって運行を開始、1953年(昭和28年)には千葉港線(国鉄千葉駅 - 千葉港)、1954年(昭和29年)には穴川線(穴川十字路 - 西千葉駅 - 京成千葉駅 - 大学病院)、1956年(昭和31年)には亥鼻線(西千葉駅 - 作草部 - 要町 - 亥鼻台方面。現・大学病院線)、1957年(昭和32年)には黒砂線(京成稲毛駅 - 西千葉駅 - 京成千葉駅 - 大学病院。後に作草部線となる)と、次々に新線が開通した。千葉港線を除く各線は、新住居の建設・罹災者の転入によって人口の急増した西千葉・稲毛方面を走る路線となっている。また、いずれも千葉駅・京成千葉駅を起点とするのではなく中心市街地を貫通するルートで開通したか、もしくは開通後数年でそうなった路線であり、これは昭和40年代頃までの千葉営業所の市街路線の多くに共通する特徴であった。 詳細は「ちばシティバス#作草部線」および「千葉内陸バス#寺山線」を参照 「京成バス長沼営業所#住宅輸送路線の拡充と長沼営業所の開設」および「京成バス習志野出張所#戦後の路線拡張」も参照 また、郊外でもいくつかの新しい路線が運行を開始している。東へ向かうものでは、1951年に新八街線(京成千葉駅 - 川崎十字路 - 八街駅)が開通し、千葉 - 八街間のバスが従来の町方回り(八街線。後のちばフラワーバス都賀線)に加え2ルートに増えるとともに、当時の泉町中心部(現・若葉区更科町)にバスの乗り入れが開始された。この地区では、1956年(昭和31年)に宮田線(京成千葉駅 - 宮田 - 川崎十字路)の運行も始まっている。また、同じく千葉市東部の都川流域に向かう路線として、1955年(昭和30年)に坊谷津線(要町 - 坊谷津)、星久喜線(要町 - 川戸)の2線が新たに整備されている。 詳細は「ちばフラワーバス#廃止路線」および「ちばシティバス#星久喜線」を参照 「千葉中央バス#千城局線」も参照 一方、西側では、国道16号経由で八千代方面への路線拡張がなされている。この地域の路線については、後に当営業所から分離される長沼営業所の項で詳述する。 詳細は「京成バス長沼営業所#千葉 - 長沼間のバスと八千代方面への拡張」を参照
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