戦後の復刊と分裂
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戦後の1945年11月に日本出版協会(戦後、日本出版会からの改称)から復刊。1945年11月20日付の復刊号から月2回刊行、翌年週刊になる。この頃の編集部員には、大橋、杉浦明平、柴田錬三郎らがおり、花森安治もカット絵を担当していた。だが、鉄道省出身の元官僚の石井満が、日本出版協会を支配し、戦犯出版社とされた大手出版社を次々に会から除名。除名された出版社の多くは日本自由出版協会(のちの全国出版協会、日本書籍出版協会)を結成。日本出版協会は少数派となる。この状況を不満とした編集長の田所は1949年に退社し、「図書新聞」を新たに創刊する。また、日本自由出版協会からは「全国出版新聞」(のちの、「週刊読書人」)が創刊され、書評紙は三紙鼎立の状況となった。1959年5月4日号をもって創刊1000号になる。
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