戦後の復活と広がり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/21 04:59 UTC 版)
戦前のレコードも大ヒットしたものの、本歌が全国的に歌われるようになったのは戦後のことである、終戦後、1946年に音羽ゆりかご会の大道真弓が、続いて川田孝子が1948年にレコードを出し、それぞれ大ヒットしている。音羽ゆりかご会がラジオで歌い、終戦時の暗い世相の灯火として津々浦々まで全国的に広まった。また、戦後は、オリジナルの童謡としてだけでなく、いろいろなスタイルに編曲されたバリエーションも数多く発表されている。トリオ・ロス・パンチョスによるもの、ジャズ化したもの、中村メイコによる声の使い分けで物語化したものなどがある。最盛期には70種のレコードに入っていたという。テレビドラマなどでも数多く使われ、高度成長期の昭和40年代まで広範に親しまれていた歌であるという。現天皇も1963年2月23日の3歳の誕生日に『お猿のかごや』を歌ったという。2008年に、介護福祉士やヘルパーなどの養成講座の学生、老人ホームやデイサービスセンターの職員、およびその家族など合計1152人に、高齢者に好まれているとされる歌130曲について、知っているかどうかアンケートをとったところ、本曲の認知度は82.9%であった。2012年に、神戸市のソプラノ歌手が、東日本大震災の被災地に元気の出る歌を送ろう、と提案し、インターネットで呼びかけた賛同者に「エッサ エッサ エッサホイサッサ」の掛け声を送ってもらい、本人の歌声にそれを取り込んで合唱に聞こえるように編集したDVDを販売した。提案者の歌手は阪神大震災で被災後、2004年から聴衆と共に歌うコンサートを開いて来たが、一番盛り上がる歌が『お猿のかごや』だったと言う。
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