戦後の徳島飛行場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/07/17 13:02 UTC 版)
連合軍の接収を経て、民間と海上自衛隊が共用飛行場として活用されている。同じく海軍の小松島海軍航空隊跡地を活用する小松島航空基地は徳島基地より7年後の昭和40年に設置した。小松島の部隊が災害救難を主とした実戦部隊であるのに対し、徳島の部隊は当初より第202教育航空隊を主力としており、離着陸訓練が頻繁に行われる。このため、民間航空機の就役数は四国最低にもかかわらず、トータルの離着陸回数は四国随一となっており、訓練の激しさを伺わせる。にもかかわらず、平成17年には50万時間無事故記録を達成し、更新を続けている。
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