戦後の慰霊と補償とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 戦後の慰霊と補償の意味・解説 

戦後の慰霊と補償

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/31 23:14 UTC 版)

尖閣諸島戦時遭難事件」の記事における「戦後の慰霊と補償」の解説

尖閣諸島戦時遭難事件については生存者多く口を閉ざしており、まとまった形で資料となったのは1974年昭和49年発行の『沖縄県史』第10巻初めであったその後回想をまとめた記録集などが発行されている。アメリカ側戦闘記録発見された。 遺骨残され尖閣諸島無人状態が続き沖縄県アメリカ軍占領統治下におかれた関係もあって現地での慰霊活動は困難であった1969年昭和44年)に石垣市一行が島に上陸して、「台湾疎開石垣町遭難慰霊之碑」を建立した遭難者遺族代表らも同行し、再び不幸な漂着者があった時には食糧となるよう、長命草パパイア種子を島に植えている。1978年昭和54年)には遺族会が結成され2002年平成14年)に石垣市新川にも慰霊碑を建立した。石垣市新川慰霊碑において毎年7月3日遺族会による慰霊祭が行われている。 2011年石垣市尖閣地域での慰霊祭実施要望政府行った一方遺族会は「ナショナリズム思想を持つ活動家過激な行動挑発合っている不穏なこの時期慰霊祭は、紛争火種なりかねない」「『武力』に守られながら慰霊祭を行うことは考えていない」として現地尖閣での慰霊執着しない表明している。2012年平成24年)には魚釣島にて慰霊祭を行うべく、超党派議員連盟日本の領土を守るため行動する議員連盟所属議員政府上陸許可申請行った認められず、付近洋上慰霊祭行ったその際参加者のうち東京都兵庫県地方議員5名を含む約10人は、政府許可なく島に上陸している(日本人活動家尖閣諸島上陸事件)。地方議員らが上陸する10日前に日本の領土を守るため行動する議員連盟会長山谷えり子参議院議員は、政府に出す上陸許可申請遺族会の署名求めていたが遺族会は拒否しそののち行われた議員連盟慰霊祭地方議員の上陸を厳しく批判している。 犠牲者対す補償行われていなかったが、1969年石垣市から決死隊員や船大工に対して感謝状記念品贈られた。1972年昭和47年)には、石垣町34に対して見舞金3万円ずつの給付叙勲があった。別に戦死した軍属船長ら3人は恩給対象となっている。沖縄外地引揚者協会は、本事件が「軍命」による疎開発生した主張して対馬丸犠牲者同様の給付求め運動行っている。これに対す日本政府の見解は、軍人軍属同視できる沖縄地上戦死者のような別の事情を欠くので恩給対象外であり、対馬丸遭難学童のような特別支出をすべき事情も無いとしている。

※この「戦後の慰霊と補償」の解説は、「尖閣諸島戦時遭難事件」の解説の一部です。
「戦後の慰霊と補償」を含む「尖閣諸島戦時遭難事件」の記事については、「尖閣諸島戦時遭難事件」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「戦後の慰霊と補償」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「戦後の慰霊と補償」の関連用語

戦後の慰霊と補償のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



戦後の慰霊と補償のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの尖閣諸島戦時遭難事件 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS