戦後の復興から総合レジャー産業へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 16:44 UTC 版)
「簱興行」の記事における「戦後の復興から総合レジャー産業へ」の解説
戦後は、1946年(昭和21年)10月に日勝映画劇場(池袋1丁目743番地)、1947年(昭和22年)7月に五反田劇場(五反田1丁目261番地)をそれぞれ復興し、1949年(昭和24年)12月には市川映画館を本八幡駅前に移転して八幡映画劇場(のちの八幡シネマ1・2、八幡町3丁目132番地)として復興、1950年(昭和25年)までには小岩映画劇場(のちの小岩スカラ座、小岩町3丁目1815番地)を復興している。1951年(昭和26年)12月には日勝映画劇場の地下に日勝地下劇場(のちの池袋日勝地下劇場)、1953年(昭和28年)1月には八幡映画劇場の敷地内に隣接して八幡文化劇場をそれぞれ開館した。1955年(昭和30年)には東京都中央区銀座4丁目4番に銀座簱ビルを竣工、同年9月15日にはそれを管理する銀座簱ビル株式会社(現在の簱興行株式会社事業部)を設立、同年11月21日には、同ビル地下に銀座文化劇場(現在のシネスイッチ銀座1)を開館している。1964年(昭和39年)には亀戸町3丁目256番地に建物を新築、1階に亀戸日活劇場(のちの亀戸日勝映画劇場)、2階に亀戸スカラ座を開館した。 1963年(昭和38年)12月には、東京都板橋区南町22番地にハタ・スポーツプラザを開館、ボウリング事業を中心とした総合レジャー産業に進出した。1970年(昭和45年)には埼玉県大宮市(現在の同県さいたま市大宮区)に大宮ハタプラザを開館、同年、八幡映画劇場跡地に八幡ハタビルを竣工、同ビル内に新たに映画館4館を開館するとともに本八幡ハタボウルを開業した。
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