快速→準急→急行「火の山」とその周辺列車群
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 03:09 UTC 版)
「九州横断特急」の記事における「快速→準急→急行「火の山」とその周辺列車群」の解説
1954年(昭和29年)10月1日:熊本駅 - 別府駅間を豊肥本線・日豊本線経由で運行する快速「火の山」(ひのやま)の運行開始。 1958年(昭和33年)5月1日:博多駅 - 小倉駅 - 別府駅 - 熊本駅間を鹿児島本線・日豊本線・豊肥本線経由で運行する臨時急行「ひかり」の運行開始。 8月1日:「ひかり」を定期準急に変更の上、門司港駅 - 別府駅間の編成を連結開始。 1959年(昭和34年)4月1日:「ひかり」の運行系統を博多駅 - 別府駅 - 熊本駅間、博多駅・門司港駅 - 都城駅間とする。 1960年(昭和35年)3月10日:大分駅 - 小倉駅 - 熊本駅 - 別府駅間を日豊本線・鹿児島本線・豊肥本線・日豊本線経由で運行する循環準急列車「第2ひかり」の運行開始。これに伴い従来の「ひかり」は「第1ひかり」に名称変更。 6月1日:「第1ひかり」の都城駅発着編成を西鹿児島駅(現在の鹿児島中央駅)まで延長する。 1961年(昭和36年)10月1日:「第2ひかり」を「ひまわり」に変更のうえ、佐賀線経由の長崎駅 - 熊本駅間準急「ちくご」を瀬高駅 - 熊本駅間で併結開始。「第1ひかり」は再び「ひかり」に戻る。 1962年(昭和37年)2月15日:以下のように変更を行う。熊本駅 - 別府駅間を運行する準急「火の山」の運行開始。 「ひまわり」の一部編成を大分駅 - 門司港駅間の運行とする。 10月1日:「ひかり」を急行列車に格上げ。 1963年(昭和38年)3月25日:「火の山」を以下の運行区間で下り3本・上り2本に増発。下り「第1火の山」…熊本発別府行き 下り「第2火の山」…門司港発熊本経由別府行き 下り「第3火の山」・上り「第1火の山」…三角駅 - 別府駅間 上り「第2火の山」…別府発熊本・小倉経由大分行き 1964年(昭和39年)3月1日:「ひかり」の博多駅 - 別府駅 - 熊本駅系統のうち、上り列車を三角駅始発とする。 10月1日:1964年10月1日国鉄ダイヤ改正に伴い、以下のように変更する。 「ひかり」の名称を東海道新幹線超特急へ使用するため、従来の「ひかり」の名称を変更。博多駅 - 別府駅 - 熊本駅・三角駅間の系統は「くさせんり」、博多駅・門司港駅 - 西鹿児島駅間の系統は「にちりん」とする。 「火の山」は別府発熊本行きの列車を増発し、3往復となる。増発分は上り「第1火の山」とし、従来の上り「第1・第2火の山」はそれぞれ第2・第3に変更。 1965年(昭和40年)10月1日:このときのダイヤ改正に伴い、以下のように変更する。「くさせんり」と、博多駅 - 長崎駅・佐世保駅間運行の準急「ながさき」・「弓張」のうち1往復を系統統合し、これに急行「九重(くじゅう)」の名を与える。従来「くさせんり」と併結していた「にちりん」は広島駅 - 別府駅間の「べっぷ」と統合の上「青島」に名称変更した。一旦愛称消滅したが、翌年の3月25日に日豊本線経由博多駅 - 西鹿児島駅間の急行として復活。以降はこちらを参照されたい。 下り「第2火の山」・上り「第3火の山」を「ひまわり」に編入。編入分は下り「第1ひまわり」(博多駅始発に変更)・上り「第2ひまわり」の名を与え、従来の「ひまわり」は下り「第2ひまわり」・上り「第1ひまわり」を名乗る。これにより「ひまわり」は2往復となる。 「火の山」は一部列車の「ひまわり」への編入に伴い、下り「第3火の山」は「第2火の山」に変更。また、上り「第1火の山」を三角駅行きとし、宮地駅→三角駅間運行の上り「第3火の山」を増発(豊肥本線内は上り「第1ひまわり」に併結)。これにより「火の山」は下り2本・上り3本となる。 1966年(昭和41年)3月5日:準急・急行料金制度の改変に伴い、「ひまわり」「火の山」を急行に格上げ。 1967年(昭和42年)10月1日:以下変更実施。「九重」を別府駅で系統分割。別府駅 - 熊本駅・三角駅間に関しては三角駅→別府駅間の片道のみ存続の上「火の山」に編入。長崎駅・佐世保駅 - 別府駅間は「べっぷ」の名称を与えた。 「火の山」は、下りは従来の「第1火の山」を廃止し、「第2火の山」を第1に変更、「九重」からの編入分を「第2火の山」とする。上りは「第1火の山」を宮地発に変更したが、この列車は運行距離が100km以内で併結運転を伴わない関係上、準急として運行された。これにより「火の山」は全列車が三角駅乗り入れとなる。 1968年(昭和43年)10月1日:ヨンサントオのダイヤ改正に伴い、以下変更実施。「ひまわり」は1965年に「火の山」から編入した1往復が「火の山」に再編入され、再び別府駅 - 熊本駅 - 小倉駅・門司港駅 - 大分駅間1往復の運行となる。「ちくご」との併結は終了。 「火の山」は「ひまわり」からの編入分1往復を合わせ、下り3本・上り4本の運行となる。編入分は博多駅 - 熊本駅 - 別府駅間の運行とし、下り1号・上り4号とした(この改正から号数の表記は「□□□○号」に変更)。また準急制度の廃止に伴い、上り1号は再び急行に戻る。そのほかの列車の運行区間及び「ひまわり」との併結は変更なし。 1975年(昭和50年)3月10日:「ひまわり」が「火の山」に統合。「火の山」は博多駅 - 熊本駅 - 別府駅間2往復(上り1本の一部は三角行き:熊本駅→三角駅間は普通列車)、三角駅 - 別府駅間1往復、熊本発別府行き、宮地発三角行き各1本、計4往復の運転となる。 1978年(昭和53年)10月2日:宮地発の「火の山」が廃止。 1980年(昭和55年)10月1日:「火の山」は博多駅発着列車の博多駅・三角駅 - 熊本駅間を廃止。これにより「火の山」は三角駅・熊本駅 - 別府駅間下り4本・上り3本の運行となる(三角駅乗り入れは3・4号)。 1982年(昭和57年)11月15日:「火の山2・5号」を三角駅発着とする(三角駅 - 熊本駅間は普通列車)。 1984年(昭和59年)2月1日:編成両数を減少、グリーン車連結を廃止。 1985年(昭和60年)3月14日:「火の山2・5号」を熊本駅発着、「火の山7号」を三角発とする(熊本駅までは普通列車)。また、全列車にグリーン車用座席を転用した指定席車を連結。 1986年(昭和61年)11月1日:「火の山」は三角駅乗り入れを終了し、熊本駅 - 別府駅間3往復の運行となる(1988年3月12日までは、5号の大分駅から先は普通列車)。 1990年(平成2年)7月2日:豊肥本線宮地駅 - 緒方駅間が集中豪雨の影響で不通になったことに伴い、「火の山」は宮地駅・緒方駅折り返しとなる。両駅間はバス代行運転で、緒方駅 - 別府駅間に関しては本来の号数に10を加えて運行された。全線復旧は1991年10月19日。
※この「快速→準急→急行「火の山」とその周辺列車群」の解説は、「九州横断特急」の解説の一部です。
「快速→準急→急行「火の山」とその周辺列車群」を含む「九州横断特急」の記事については、「九州横断特急」の概要を参照ください。
- 快速→準急→急行「火の山」とその周辺列車群のページへのリンク