心の概念
心の概念
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/22 14:48 UTC 版)
1949年の著書『心の概念』においてライルは西洋哲学の主調をなしてきた心身二元論を誤りであると断じた。心が独立した存在であるとか、心は身体の中にありながら身体を支配しているといった考え方は、生物学の発達以前の直写主義がそのまま持ち越されたものにすぎず、余剰として退けられるべきである。ライルによれば、心身問題を論じる目的はなによりもまず、人間存在のような高度な有機体が、その行動から得られる明証性をもとにしてどのようにして抽象化や仮説形成といった工夫、戦略、手腕を発揮するのかを記述することである。 ライルはデカルトやラ・メトリーといった17・18世紀の思想家を批判し、自然が複雑な機械であり、人間本性が小さな機械だとすれば、人間の特性である知能や自発性が説明がつかないから、この小さな機械の中に幽霊がいるとしなくてはならなくなる、と述べた。ライルの考えでは、「なぜ……なのか」という問いに対して、機械論的見地からのみ答えを探そうとすると、カテゴリー・ミステイク(カテゴリー錯誤、カテゴリー的誤謬などと訳す)に陥る。人間行動の記述・説明にあたっては心理的語彙(ボキャブラリー)が重要な役割を果たすのだから、人間は機械と類比して語れるようなものではないし、心とは外部に現れる技能の「隠れた」原理なのではない。 ライルの考えでは、心の働きは身体の動きと切り離せない。心身は繋がっており、心理的語彙といっても身体行動を記述するのとたいして変わらない。ある人物の動機というものは実際のところその人物がある状況下でどのように行為する「傾向性」があるかということを意味している。虚栄という明白な感情や苦痛があるわけではなく、行動の一般的な趨勢ないし傾向のもとに包摂される一連の行為と感情があり、これが「虚栄」という用語で呼ばれる。 ライルによれば、これが小説家や歴史家やジャーナリストなら、人々の行動を見て気軽に様々な動機や道徳的価値や個性を判断してもよい。しかし哲学者が心とか魂と呼ばれる領域にこれらの性質を付与しようとすれば、問題が起こるのである。また、ライルは認知主義理論に基づく説明に対して古典的な反論を加えた。すなわち、認知主義心理学では認知行動の前提としてなんらかの認知システムがなければならないとするが、認知システムの策定自体一個の行動なのだから、このような因果的説明では無限遡行に陥り、説明にならないというのである。
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