建設と設計
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大統領府であるホワイトハウス建設が開始されたのは初代大統領のジョージ・ワシントンのときで、1792年10月13日に礎石が置かれて着工したが、公式の定礎式は挙行されなかった。 1790年にワシントンD.C.(コロンビア特別区)の設置と区画が決定され、フィラデルフィアに代わる新首都建設が始まると、ワシントンは大統領府のデザインをコンペで募集し、9件の最終候補の中からアイルランド出身の建築家であるジェームズ・ホーバンの案を採用した。ホーバンは、現在のアイルランド国民議会が入っているダブリンのレンスター・ハウスをモデルにした。基礎部分は当時の黒人奴隷、石細工は主にスコットランド人が工事を担っていた。着工から8年後の1800年11月に完成したが、初代大統領のワシントンはすでに大統領職を辞していたばかりか前年に亡くなっており、完成した姿を目にする事はなかった。そのため、最初にこの大統領官邸に入居したのは第2代大統領のジョン・アダムズとなったのである。以後も大統領府はここに置かれ、200年以上経った現在でも首都ワシントンと共にアメリカの政治の中枢となっている。 建物は16世紀のイタリアの建築家アンドレーア・パッラーディオのパッラーディオ様式を採り入れており、イタリアのヴィチェンツァ郊外にあるヴィラ(邸宅)「ラ・ロトンダ」(1994年に世界遺産登録)に酷似している。パッラーディオ自身はヴィラ(邸宅)ではなくパラッツォ(宮殿)と分類している。
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建設と設計
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「エール大学ゴルフコース」の記事における「建設と設計」の解説
トンプキンス夫人によるグリーストエステートの寄付を受けてエールゴルフ委員会が結成され、アディーが主席議長に就任し、他に J・F・バイヤーズ (J.F. Byers)、ジェス・スイーツァー (Jess Sweetser) などが委員となり、早速に著名なゴルフコース設計家であったチャールズ・B・マクドナルドにコンタクトし、この土地にワールドクラスのゴルフ場の建設が可能であることを確認した。現地を見て可能性を直感したマクドナルドはこのプロジェクトのコンサルタントになることを承知し、コース設計は直前まで共同経営者であったセス・レイノア (Seth Raynor) を推挙した。7,500ドルでこのプロジェクトを請け負ったレイノアは1923年の夏には測量作業を開始した。もともと大部分は沼地だったことから、排水、発破、整地の作業は難航し、マクドナルドは当時を振り返って、「困難な土木作業だった。40年以上にわたり耕作されておらず、高地で起伏が激しく、木々が密生していた。エールが購入した段階では道路や家の一切ない、まさに荒野だった。木々の密集で50フィート先は見えず、下層の植生も厚かった。」そんなこんなで、やっと120エーカーをゴルフコース用に開拓することに成功した。 1924年4月には建設工事が開始された。60名の作業員がこれに当たったが、最盛期には150人まで増加した。途中、コースの灌漑用に全長35,000フィートに及ぶ配管が必要となるなど当初の予算をはるかに超える建設費を投じ、1926年4月15日に開場にこぎつけた。開場時のコースはパー71、6,552ヤードに設定された。最終的に要した費用は400,000ドル以上という記録的な金額であったが、プレーしたすべての人から好評を得た。高評価者の一人であるハーバート・ウォレン・ワインド (Herbert Warren Wind) は、「原野を骨の折れる工事で切り開いて作ったコースのグリーンやハザードは、ミケランジェロの作品を彷彿とさせる次元の風格が感じられる」と評した。コースは現在に至るまで大きな改修は加えられておらず、往時の米国ゴルフの至高に今でも触れることができる。
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