ゴルフコース設計家
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「チャールズ・B・マクドナルド」の記事における「ゴルフコース設計家」の解説
1880年代後半の時点で、既にスコットランド移民のグループがニューヨークシティー地域にゴルフを持ち込み、セイントアンドリューズゴルフクラブを設立し、ここでプレーしていた。1892年、マクドナルドは何人かの友人にゴルフを勧めて始めさせた。その後すぐにシカゴゴルフクラブを立ち上げ、手始めに9ホールの初歩的なコースをイリノイ州ダウナーズグローブに建設したが、これが米国でアレゲニー山脈より西側に建設された初のゴルフ場となった。1893年には18ホールに拡張したが、これは全米初のフルサイズの18ホールゴルフ場だった。更に翌1894年にはウィートン近くに新たな用地を探して18ホールのコースを建設して引っ越した。このウィートンのコースはその後複数回の全米オープンを開催し、世界の50ゴルフコースにいつでも選ばれる著名なコースとなった(元のコースも「ダウナーズグローブゴルフコース」として現存する)。1895年にはレークフォレストにあるオンウェントシアクラブの初期の9ホールコースの設計を手掛けた。 1900年、シカゴを離れニューヨークのウォールストリートにある C.D.バーニー(現在は吸収合併によりモルガンスタンレーウェルスマネージメント)の共同経営者となった。当時米国のゴルフコースは、少数の例外を除いてゴルファーがコース戦略を考えることをさほど必要としない初歩的で単純なものばかりだった。ここでマクドナルドは、セントアンドリュース留学やその後の英国旅行などの経験をもとに、英国外で最も注目されるようなコースを建設したいと考えるようになった。スコットランドの古典的なリンクスコースの再現をイメージして、これに見合う用地がないかロングアイランドを探して歩き、最終的にはサウサンプトン(シネコックヒルズゴルフクラブの近く)に決定した(1906年)。自宅もサウサンプトンに移した。ホワイツレーン119番地に F. Burrall Hoffman の設計で建てた家を「バリーシャー (Ballyshear)」と名付けた。この屋敷は2011年にマイケル・ブルームバーグが購入している。 1908年、有志70人から各1,000ドルずつの出資を得て、ナショナルゴルフリンクスオブアメリカ (National Golf Links of America) を立ち上げ、1909年に開場した。多くのホールは英国の著名なホールの特徴を彼なりに解釈したもので、その後の他コース設計においてもこのパターンを踏襲した。マクドナルドは残りの人生30年をかけてコースを微調整していった。1922年にはこのコースでウォーカーカップの第1回大会が開催され、また、こんにちにおいてもゴルフ設計のランドマークであるとみなされている。2005年、ゴルフダイジェスト誌はこのナショナルゴルフリンクスオブアメリカを全米で9位のコースとしてランクした。 ナショナルゴルフリンクスオブアメリカの建設を皮切りに、その後ゴルフアーキテクト(golf architect、ゴルフ建築家、この用語はマクドナルドによる1910年ごろの造語)として有名になるセス・レイノア (Seth Raynor) との共同設計・建設を行うようになった。二人で何年にもわたり多くのコースの設計・建設を手掛けた。これらにはオールドホワイトコースアットザグリーンブライヤー (Old White Course at The Greenbrier, 1914)、セントルイスカントリークラブ (St. Louis Country Club, 1914)、シネコックヒルズゴルフコース (Shinnecock Hills Golf Course, 1916)、エール大学ゴルフコース (Yale University golf course, 1926)、禁酒法からの回避地であるバミューダのミッドオーシャンクラブ (Mid Ocean Club, 1921) などが挙げられる。最も有名だったのがリードーゴルフクラブ (Lido Golf Club, 1914) で、多額の建設費を投じ、いくつかの特徴あるホールを持っており、その素晴らしさにおいてナショナルゴルフリンクスと並び称されるほどだった(現在、同じ場所に同名のゴルフコースが存在するが、これは1947年にロバート・トレント・ジョーンズが設計した別物)。 1928年に「(Scotland's Gift: Golf) スコットランドの贈り物:ゴルフ」という題名の著書を出版した。この中では、1890年代から1927年(当時ゴルフ場が全米で4,000ほどしかなかった)にかけて米国でどのようにゴルフが普及していったのかが詳述されている。また、いくつかの章を割いて彼が設計したコースの中の4つを例示して、彼のゴルフ哲学を交えた解説を行っている。彼はしばしば「米国ゴルフ設計家の父」と呼ばれている。
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