幼少期から青年期にかけて
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/05 06:16 UTC 版)
「トーマス・ウルフ」の記事における「幼少期から青年期にかけて」の解説
ウルフはノースカロライナ州アシュビルで、ウィリアム・オリヴァー・ウルフ(英: William Oliver Wolfe、1851年 - 1922年)、ジュリア・エリザベス・ウェストール(英: Julia Elizabeth Westall、1860年 - 1945年)の間に、8人兄弟の末っ子として生まれた。きょうだい8人の内6人が成人した。親しい人間の間では、トムとの愛称で呼ばれた。 ウルフは自分が生まれたウッドフィン通り92番地(英: 92 Woodfin Street)で生活した。父親は石工として成功しており、墓石業を営んでいた。母親は下宿人を引き受けており、盛んに不動産取得を行っていた。1904年、母ジュリアはセントルイス万国博覧会に合わせて、ミズーリ州セントルイスに下宿屋を開いている。家族がセントルイスにいる間に、12歳だった兄のグローヴァーが腸チフスで亡くなっている。 1906年、母ジュリアはアシュビル・スプルース通り48番地近くの下宿屋「オールド・ケンタッキー・ホーム」(英: "Old Kentucky Home")を買い取り、他の家族をウッドフィン通り(英: The Woodfin Street)の家に残したまま、末息子のトーマスとふたりで暮らし始めた。ウルフは1916年に大学へ進学するまで、スプルース通りのこの下宿屋で暮らした。現在建物は、記念館トーマス・ウルフ・ハウス(英語版)として一般公開されている。ウルフがきょうだいの中で1番親しくしていたのは兄のベンで、26歳という兄の早過ぎる死は、ウルフの小説『天使よ故郷を見よ(英語版)』で描写されている。ジュリアは不動産の売り買いを行い、次第に不動産投資家として成功するようになった。ウルフはノース・ステート・フィッティング・スクールに通い、そこで出会った教師のマーガレット・ロバーツは、作家になりたいという彼の夢を後押しした。 ウルフはノースカロライナ大学チャペルヒル校 (UNC) に進学した。大学では社交クラブ Dialectic Society (en) とパイ・カッパ・ファイ (Pi Kappa Phi) に籍を置き、いつしか自分の肖像画がノースカロライナ州の政治家ゼブロン・バンスの近くに掛けられるだろうと予言した(この予言は現在実現している)。1919年、脚本家になりたがったウルフは、大学で脚本家コースに参加した。ウルフが書いた一幕の劇 "The Return of Buck Gavin"(意味:バック・ギャヴィンの帰還)は、フレデリック・コッホ(英: Frederick Koch)の脚本家クラスの生徒で新しく結成された劇団カロライナ・プレイメーカーズ(英語版)によって演じられ、ウルフ自身もタイトル・ロールを演じた。彼はまた、UNCの学生新聞『デイリー・ターヒール(英語版)』の編集に携わり、「産業の危機」The Crisis in Industry と銘打ったエッセイでワース賞哲学部門(英: The Worth Prize for Philosophy)を獲得している。彼が書いた別の戯曲 "The Third Night"(意味:第三の夜)は、先述の学生劇団プレイメーカーズによって1919年12月に上演された。ウルフはまたゴールデン・フリース栄誉者会(英: The Golden Fleece honor society)に入会している。 ウルフは学士(教養) (Bachelor of Arts) を取得して、1920年にUNCを卒業した。この年の9月にはハーバード大学教養大学院(英語版) (GSAS) に入学し、ジョージ・ピアース・ベイカー(英語版)に師事して脚本を学んだ。ウルフによる脚本 "The Mountains"(意味:山々)は、1921年に開かれたベイカーのワークショップ "The 47 Workshop" で2パターン上演されている。 1922年、ウルフはハーバード大学で修士号を取得した。彼の父は同じ年の6月にアシュビルで亡くなり、このことは彼の執筆に大きな影響を与えた。ウルフはベイカーのワークショップでもう1年学ぶことにし、1923年5月には10シーンからなる演劇 "Welcome to Our City"(意味:僕らの街へようこそ)をプロデュースしている。 ウルフは1923年11月に再びニューヨーク市を訪れ、ブロードウェイで自分の戯曲を売り込むため、UNCへ資金提供を求めている。1924年2月、彼はニューヨーク大学 (NYU) で英語の講師 (National Council of Teachers of English) として働き始め、断続的に7年ほどこの仕事を続けた。
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