幼少期から音楽活動開始まで
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「ティム・スタッフェル」の記事における「幼少期から音楽活動開始まで」の解説
スタッフェルは、ロンドン・イーリングで生まれた。ハンプトン・グラマー・スクール(英語版)に通い、「ザ・レイルローダーズ」(the Railroaders) という名前のバンドでシンガーを務め、1964年に出たコンサートで、同じくハンプトンの生徒だったブライアン・メイと出会った。その後、スタッフェルとメイは、ジョン・ガーナム(John Garnham、ギター)、デイヴ・ディロウェイ(Dave Dilloway、ベース)、ジョン・サンガー(John Sanger、キーボード)、リチャード・トンプソン(Richard Thompson、ドラムス)を集め、ジョージ・オーウェルの同名小説から名前を取ったブルースロックバンド「1984」を旗揚げする。スタッフェルは1965年にイーリング・アート・カレッジ(英語版)でグラフィックと絵画を学ぶコースに進学し、ここで後のフレディ・マーキュリーことファルーク・バルサラと知り合った。一方のメイはインペリアル・カレッジ・ロンドンに進学した。1984は1969年に解散した。 スタッフェルとメイは、ドラマー募集の広告に応じてきたロジャー・テイラーをドラムスに迎え、スマイルという新バンドを結成する。スマイルは自分たちのバンド活動や収録に加え、ジミ・ヘンドリックスやピンク・フロイドの前座、サポート・アクトを務めるなどした。この頃スタッフェルとメイが共作した作品が『ドゥーイン・オール・ライト』"Doin' All Right" で、後にやや改作された上でクイーンのデビューアルバム『戦慄の王女』"Queen" に収録された。この際スタッフェルはメイとの共作クレジットを得て、アルバム売り上げからロイヤルティーを、十分に得ることができた様子である。 その後スタッフェルは、別バンドハンピー・ボング(英語版)に加入するためスマイルを脱退する(1970年)。また、プログレッシブ・ロックの実験的バンド、モーガンに参加し、ファーストアルバム『ノヴァ・ソリス(英語版)』"Nova Solis"(1972年)と、セカンドアルバム『ブロウン・アウト』"Brown Out"(後に『ザ・スリーパー・ウェイクス』"The Sleeper Wakes" と改題)を手掛けた。『ノヴァ・ソリス』のタイトルトラックには、スマイル時代の曲『アース』"Earth" が新録されて組み込まれている。
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