幼少期から高校卒業まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 04:25 UTC 版)
新潟県新発田市に生まれ、小学1年生でミニバスケットボールを始める。新発田市立本丸中学校では監督としてチームを率いる父親のもと、3年時に全国大会で優勝したほか、2年時と3年時にはそれぞれ15歳以下、16歳以下の日本代表に選抜された。 中学卒業を控え、当時浜松・東三河フェニックスのヘッドコーチで、富樫の父親と交流があった中村和雄の勧めもありアメリカ留学を決意。ケビン・デュラントやグレイビス・バスケスなどを輩出したモントローズ・クリスチャン高校(英語版)に進学した。富樫は1年時からロスター入りし、主にシックスマンとして起用され、2010年の同校全米ランキング2位ランクインに貢献した。 小・中学生時より全国レベルの大会に出場し、中学卒業後はアメリカの高校に留学。高校卒業後は大学に進学せずbjリーグの秋田ノーザンハピネッツに入団し、プロ選手としてのキャリアを開始した。1年目となるbjリーグ 2012-13シーズンにはbjリーグ新人賞を受賞。 2011年には日本代表候補に選出され、同年8月のウィリアム・ジョーンズ・カップには若手選手を主体に構成された日本代表チームの一員として出場した。また2012年6月にはNBAなどが主催するイベントBasketball Without Bordersに参加し、アジア地域における同年代のトップ選手が集まった中、MVPを獲得した。この時指導に当たったローランド・ブラックマンは、富樫を「このキャンプにおいてナンバーワンのガード」と高く評価した。 高校卒業後はアメリカの大学進学を目指し、NCAA1部の大学からも勧誘を受けたものの、希望する学費全額免除の条件ではなかったため、進学を断念した。
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