幼少期と「Ruthless Records」の設立
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「イージー・イー」の記事における「幼少期と「Ruthless Records」の設立」の解説
イージー・イーこと、エリック・リン・ライトは1964年9月7日、ギャングの活動と犯罪で悪名高いカリフォルニア州ロサンゼルス郊外のコンプトンに生まれた。 父親は郵便局員、母親は小学校の理事だった。ライトは高校を中途退学したが、後に高校卒業資格を取得している。 ライトはN.W.A以前は主に麻薬を売ることで生計を立てていた。後にN.W.Aのマネージャーとなるジェリー・ヘラーは、ライトがマリファナを売っていたことは認めたが、コカインは売っていなかったとしている。ヘラーが回想録『ルースレス』で述べているように、ライトが「ドープ・ディーラー」として振る舞っていたのは自分自身の身を守るためでもあった。ライトはまた「サグ(Thug。暴漢・チンピラの意)」としても知られていた。 ヘラーは以下のように語っている。 ストリートでは誰もが仮面をつけなくてはならなかった。丸腰で生き延びた者はいない。役柄が必要である。「サグ(Thug)」か、「ラッパー(Playa)」か「アスリート」、「ギャングスタ(Gangsta)」か、「麻薬の売人(Dope Man)」のどれかになることになる。さもなければ残された役目は「犠牲者」だ。 「彼の育った地区は危険な場所だった。彼は身長が低かった。"サグ"というのはストリートでは広く認識された役割だった。それは、人々があなたをファックするのを防いでくれる。同様に、"ドープ・ディーラー"という役割もあなたに一種の特権と尊敬を与える」 1986年、22歳のときに、ライトは25万ドル(4200万円)を麻薬売買で稼いでいたとされる。しかし、いとこが銃殺されたことをきっかけに当時急速に成長していたロサンゼルスのヒップホップ・シーンでもっといい暮らしができると考え、1980年代中期に親のガレージで曲をレコーディングし始めた。こうして、「Ruthless Records」が誕生した。 「Ruthless Records」は、ライトが80%、ヘラーが20%の取り分で共同設立された。ヘラーによるとライトは最初に25万ドル(4200万円)、最終的には100万ドル(1億6800万円)を会社に投資したという。
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