幼少期〜慶應義塾時代とは? わかりやすく解説

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幼少期〜慶應義塾時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 15:09 UTC 版)

松岡修造」の記事における「幼少期〜慶應義塾時代」の解説

東宝11社長となる実業家松岡功と、元宝歌劇団の星組男役スターであった千波静との間に三人姉弟次男として生まれる。父方曾祖父阪急電鉄宝塚歌劇団などの阪急東宝グループ創始者小林一三であり、親族多く実業家を持つ家系の中で育った父親の功は元テニス選手であり、甲南大学在籍時に全日本学生テニス選手権大会単複優勝しデビスカップ日本代表選出1955年全日本年間ランキングでは宮城淳加茂公成に次ぐ3位記録する国内トップ選手の一人であったものの、家業を継ぐため大学卒業機にテニスとの関わり一切絶ち自身テニス選手として過去子供達にも全く話さなかった為、松岡テニス始めた当初父がデ杯代表選手であったことを知らなかった8歳の頃に、既にテニスをしていた三歳年上の姉・敏子見てテニス興味持ち、一歳年上の兄・松岡宏泰と共にテニス始める。当時松岡身長低く丸々太った体型で、周囲大人達にイタズラをして回るような少年であり、一方で兄の宏泰はそんな弟とは対照的にいつも温厚礼儀正しい子供で、体格にも恵まれてテニスセンスも抜群だったために、周囲のテニスコーチは宏泰に注目してより高度な指導行なっていた。当然松岡コーチに「自分にも教えて欲しい」とせがむも、コーチから返ってくるのは「修ちゃんは、ガッツがあっていいよ。」と言った慰め言葉程度だった。 また学業の方も惨憺たる状態で、松岡学んでいた慶應義塾幼稚舎では4年生から落第制度があったが、授業中でも教師の話を殆ど聞かず宿題にも手を付けないといった事の繰り返し担任から母と共に何度も呼び出し注意を受け、三学期になるとそれを何とか挽回し落第からくも免れるというパターン繰り返す問題児だった。一方兄は本を読むのが大好きな少年で、勉強トップクラス修造とは対照的に何から何まで優秀な人物であり、そのギャップがかえって松岡兄弟周囲注目を集める要因となっていた。 しかし、才能無さ指摘され自身もそれを自覚しながらもテニスへの情熱衰えるどころが増していき、名門テニスクラブとして知られる桜田倶楽部で元テニス選手飯田らの指導を受けながら本格的にテニスを学ぶようになる慶應義塾中等部進学する頃には勉学優先していた兄とは対照的に中等部校長から「テニス学業両立を図るように」と叱責を受けるほどテニス毎日時間の殆どを割き中学2年生時に全国中学生テニス選手権大会優勝次第頭角を現すうになるその後慶應義塾高等学校に進むも、この頃中学3年生時に覚えた麻雀に嵌り異常なまでにのめり込むようになり、夢中に取り組んでいたテニスよりも勝敗その場で出る麻雀うつつを抜かす毎日続いた(その入れ込みようは自身指先を見るといつの間にテニス出来たマメ消え麻雀出来たタコができていた程であったという)。しかしそんなある日、ふと自分心中で「こんなことばかりしていていいのか?」「テニスがもっと強くなりたい思っていたんじゃないのか」「目標のないまま大学進学し成り行き就職して会社員になるのか。そんな人生でいいのか」と自問することがあった。そして「このままでは自分は駄目になる。自分本当に好きなものはテニスなんだ」という事気付かされた松岡は、そうしたぬるま湯環境松岡はこれを「甘え地獄」と形容している)となっていた慶應高校での学生生活捨て自分自身鍛え直す為に高校テニス界の名門校として知られていた柳川高等学校への転校決意する。この決断両親激しく反対された上、学校の教師からも当初松岡留年恐れて転校決心した受け止められ、「学校テニス部入っていれば、成績悪くて大学行けるようにしてあげるから・・・」と心配された。しかし松岡決意固く、父を必死説得し柳川で必ず推薦もらって大学進学することを条件転校許される

※この「幼少期〜慶應義塾時代」の解説は、「松岡修造」の解説の一部です。
「幼少期〜慶應義塾時代」を含む「松岡修造」の記事については、「松岡修造」の概要を参照ください。

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