幼少期および以前の経歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/10 00:46 UTC 版)
「アグネス・モニカ」の記事における「幼少期および以前の経歴」の解説
アグネス・モニカ・ムルジョトは、インドネシアのジャカルタで中国人の家系(華僑)に生まれた。彼女は、元卓球選手のジェニー・シスウォノと元バスケットボール選手のリッキー・ムルジョトとの間に生まれた末っ子だった。 彼女の兄スティーブ・ムルジョトが彼女のマネージャーである。彼女はジャカルタの小・中学校および高校に通っていて、幼少の頃から特に歌で芸能の才能を示してきた。彼女は教会で歌唱し、また声楽コースにも通った。 ステージ名の「アグネス・モニカ」を使って、1992年に彼女は初の幼少期アルバム『Si Meong』でエンターテインメント業界に参入した。1995年に彼女は2枚目の幼少期アルバム『Yess!』をリリース、これにはインドネシアの子供歌手Eza Yayangとのデュエットもあった。翌年、彼女の幼少期最後のアルバム『Bala-Bala』がリリースされた。彼女はまたAnteve放送の『Video Anak Anteve(VAN)』、RCTI放送の『Tralala-Trilili』、Trans TV放送の『Diva Romeo』など、幾つかの子供番組の司会になった。『Tralala-Trilili』によって1999年と2000年に彼女は「最も好かれる子供番組プレゼンター」をパナソニック・アワード で受賞した。 アグネスは13歳のときに女優業を始めた。彼女が出演した最初の2作品は、1999年のメロドラマ『Lupus Millenia』と『Mr. Hologram』だった。翌年、彼女は連続テレビドラマ『Pernikahan Dini(若い結婚)』に出演し 、これは彼女のイメージを子役アーティストから10代アーティストへと変えたもので、彼女の経歴のターニングポイントになった。 同シリーズにおける彼女の演技は観客に高く評価され、2001年と2002年のパナソニック・アワードでは「フェイバリット女優」賞を、2002年のSCTVアワードでは「フェイマス女優」賞を受賞した。2002年、彼女はメロドラマ『Ciuman Pertama』『Kejar Daku Kau Ku Tangkap』『Amanda』の3作品で主演を務めた。その人気の高さから、彼女はインドネシアで最もギャラの高い10代アーティストになった。 『Pernikahan Dini』のサウンドトラックとしてメリー・ゴスローが書いた「Pernikahan Dini」と「Seputih Hati」という歌で、アグネスは音楽業界に戻ってきた。どちらの曲も2001年のコンピレーションアルバム『Love Theme』に収録された。 彼女はAquarius Musikindoとレコード契約を結び、10代で突破口となるアルバムの制作を開始した。彼女はまたインドネシア人歌手ヤナ・ジュリオと、彼の「Awan dan Ombak」という曲でコラボレーションを組んだ。
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