幼少期から2009年にかけて
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/23 00:02 UTC 版)
「テディ・タムゴー」の記事における「幼少期から2009年にかけて」の解説
タムゴーはフランス・パリで生まれた。カメルーンのバミレケ族(英語版)にルーツを持つ。スヴランのコミューンで成長した子供の頃陸上競技に興味を持った。13歳からディナミク・オーナイ・クリュブ (Dynamic Aulnay Club) の選手として三段跳の競技会に出場し始めた。2007年のヨーロッパジュニア選手権で初めて選手権大会に出場したが、自己ベストの16m35を記録したものの4位となり表彰台を逃した。 翌2008年、1月にタムゴーは初めてジュニアフランス記録を樹立。2月のフランス室内選手権ではヴォルケル・マイユ(英語版)に次ぐジュニア世界歴代2位の16m94をマークした。タムゴーは、「助走のスピードが自分の長所であり、自らの成功の要因はコーチのジャン=エルベ・スティーヴナールおよびチームメイトのカール・タイユピエール(英語版)、バンジャマン・コンパオレ(英語版)との練習の成果だ。」と述べた。 屋外シーズンに入り、タムゴーは7月の世界ジュニア選手権に出場し、北京オリンピックのフランス代表入りに必要な標準記録17m13のクリアと優勝を狙った。17m33の記録で優勝し金メダル獲得は達成したが、優勝記録は風速2.1m/sの追い風参考記録であったため、フランス代表入りのためには公認される風速下での記録が必要な状況が続いた。タムゴーは7月のフランス選手権で調子を合わすことはできず、優勝記録から遠く及ばない16m79の記録で4位に終わった。タムゴーはオリンピック代表入りを逃し、フランスからはコロムバ・フォファナ(英語版)だけが同種目に出場した。 スティーヴナールとローランス・ビリー(英語版)の下で練習をはじめ、2月にモンドヴィル (カルヴァドス県)(英語版)で行われた室内競技会で過去の自己ベストを3回連続上回った後17m37の自己新記録で決着を付けるなど、タムゴーは著しい成長を遂げて2009年室内シーズンのスタートを切った。同月に行われたミーティングセアト (Meeting SEAT) では、フランス新記録には1cm及ばないものの、23歳以下世界最高記録となる17m58まで自己ベストを伸ばした。フランス室内選手権は17m44の記録で優勝、タムゴーは初めて国内タイトルを獲得した。しかしタムゴーはケガを抱えながら大会に出場しており、ヨーロッパ室内選手権に向けて状態を立て直すために2週間を要した。3月のヨーロッパ室内選手権は1回目の試技が16mに届かず、後の2回はファウルに終わった。タムゴーは最有力候補の1人にもかかわらず、予選で姿を消した。 屋外シーズンに入り、7月にパリで行われたミーティングアレヴァでオリンピック銀メダリストのフィリップス・イドウと対戦した。イドウは17m17をマークして優勝、タムゴーは調整不足であり16m97の記録で5位だった。7月末、タムゴーはフランス選手権で世界選手権の参加標準記録Aを突破する17m11をマークして初優勝を飾り、フランス男子三段跳選手トップの地位を固めた。8月、ベルリンで開かれた世界選手権は予選で17m11をマークし決勝進出を果たす。しかし、決勝は唯一成功した跳躍の記録が16m79で4回目以降の試技に進むことができず11位となった。
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