幼少期〜デビュー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/05 15:08 UTC 版)
「パティ・ダーバンヴィル」の記事における「幼少期〜デビュー」の解説
1951年、マンハッタンのグリニッジ・ヴィレッジの近くで生まれたパティは3歳で早くも頭角を現し始めた。祖母に連れられて行ったブルーミングデールズ百貨店でたまたま開催されていた「ビューティフル・ベビー・コンテスト」に出場して優勝し、その後3年間に渡ってアイボリー石鹸のテレビコマーシャルに出演したのだった。 8歳のとき、自宅近くの歩道にチョークで落書きをして遊んでいたところ、たまたま通りかかったニューヨーク大学で自主映画を制作している学生たちの目に留まりスカウトされた。近くにいた母親の承諾を得て、”Tuesday and Blue Silk” でスクリーンデビューした。 13歳になると自宅の向いにあったル・カフェ・フィガロでレコード盤を交換するDJのアルバイトを始めたが、深夜まで働いては授業中に寝るという生活を続けるうちに、自分に勉学は必要ないと考えるようになり14歳で学校に通うのを止めた。 カフェ・フィガロの常連客にはボブ・ディランや作家のジャック・ケルアックなど多くの著名人がいた。16歳のある日、パティが客の大人たちとチェスをしていると、髪を真っ赤に染めた男と頭の上にリスを乗せたような髪型の男が近付いてきて「映画に出てみないか?」と声を掛けてきた。赤い髪の男はアンディ・ウォーホルであった。2人は母親の許可を得ようとしたが、断られると思ったパティは独断で出演を決めた。 1年後、ウォーホールがプロデュースしポール・モリセイが監督する「フレッシュ」(1968)が完成。同性愛者のラブシーンなど新人女優としてはリスクの高い演技を要求されるも彼女は堂々と演じた。
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