幼少期・デビューまで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 03:07 UTC 版)
「マライア・キャリー」の記事における「幼少期・デビューまで」の解説
ベネズエラ系移民の父アルフレッド・ロイ(アフリカ系ベネズエラ人とアフリカ系アメリカ人のハーフ)とアイルランド系アメリカ人の母パトリシア(白人)の間に3人兄弟の末っ子として、ニューヨーク州ロングアイランドに生まれ、人種差別に耐えながら幼少期を過ごした。マライアが3歳の時に両親は離婚している。 ハイスクール卒業後、マンハッタンへ移り、ウェイトレスなどをしながらチャンスを待っていた。その後、ブレンダ・K・スターのバックコーラスとなり、ブレンダに連れられて訪れたパーティー会場でCBSレコード(コロンビアレーベル、現:ソニー・ミュージックエンタテインメント (米国))のトミー・モトーラ社長へブレンダがデモテープを渡したことがきっかけとなり、1990年に「Vision of Love」でデビュー。このシンデレラストーリーとデビュー直前にNBAファイナルで「America the Beautiful」を熱唱し話題になったことから大ブレイクした。
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