幼少期・娼婦時代
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「テロワーニュ・ド・メリクール」の記事における「幼少期・娼婦時代」の解説
テロワーニュ・ド・メリクールは出生名をアンヌ・ジョゼフ・テルヴァニュ (Anne-Josèphe Théroigne) といい、現在のベルギー王国リュクサンブール州内のマルクール村で1762年に生まれた。生家は農家であったが、継母との関係が上手くいかず11歳で家を出奔し、牛飼いや針仕事などの職を転々とした。1782年、20歳でロンドンに渡り、「カンピナド伯爵夫人」という源氏名で社交界に入り、娼婦として自立するようになった。 ロンドン時代の彼女は、貴族・王族などを客に取り、幾人もの資産家を破滅に追い込んだ高級娼婦として名を馳せた。客の中に当時のイギリス王太子 (後の国王ジョージ4世) がいたという伝説もある。平民の出である彼女だが、こうした客との関わりの中で一定の教養を身につけていったものと思われる。また活動の場はロンドンに留まらずパリにも及び、国際的な女性でもあった。勘定高く、パリの高級官僚であったペルサン侯爵という人物に年間5000リーブルの終身年金を支払わせる契約を結び収入の安定を図っている。また、故郷から呼び寄せた弟達に職を斡旋するためパリの銀行家ペルゴーに宛てた手紙も残っており、兄弟思いの一面もあった。 パトロンの援助の元、一時は歌手を目指し、歌謡の本場であるイタリアで修行した時代もあったが、それは長続きしなかった。
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