幼少期・上京とは? わかりやすく解説

幼少期・上京

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 22:55 UTC 版)

利光鶴松」の記事における「幼少期・上京」の解説

1864年2月6日文久3年12月29日)、豊後国大分郡稙田村粟野(現・大分県大分市大字稙田)にて利光市松シン子夫妻のもとに生まれる。実家農家であった1875年明治8年)、稙田村市ノ道場寺にて初等教育を受け始める。同寺で福沢諭吉の『世界国尽』、『西洋事情』にふれる。1878年明治11年)に卒業13歳の時、父の市松亡くなり、母の手育てられた。 実家農業を継ぐとともに中国古代史書勉強会への参加や『国史略』、『日本外史』、『十八史略』などを独学勉強した1881年明治14年1月粟野去り日出(現・大分県速見郡日出町)の涵江書塾に入門し、頭成学校助教員になる。その後豊前恒遠塾、但馬青谿書院備後宇都宮龍山塾で勉学に励む。 上京。家が貧しかったため、叔父の品吉に学資補助してもらった叔父から「学費など配するな。俺が働いてお前は必ず学校卒業させてやる。」といわれたという。1886年明治19年)、明治法律学校(現・明治大学)に進学、翌1887年明治20年4月代言人試験を受け合格をする。

※この「幼少期・上京」の解説は、「利光鶴松」の解説の一部です。
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