幼少期〜アルゼンチン時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 03:39 UTC 版)
「ガブリエル・バティストゥータ」の記事における「幼少期〜アルゼンチン時代」の解説
1969年2月1日、アルゼンチンのサンタフェに生まれる。子供の頃はサッカーよりバスケットボールに興味があったが、地元開催のW杯アルゼンチン大会で、当時のアルゼンチン代表のエース・マリオ・ケンペスのプレイを見たことでサッカーへの興味を膨らませた。子供たちで草サッカーに興じ、大会に出るため皆でチーム「グルッポ・アッレグリーア」を結成。ただ、父親が学業や家業の手伝いをおろそかにしないことを求めたため、16歳までは地元の大会に出場する程度にとどまった。16歳で地元チームのプラテンセのジュニアチームに所属。1986年17歳にしてようやくバスケットボールからサッカー選手へと本格的に転向[要出典]。強いフィジカルでゴールを奪うプレーぶりを、当時マルセロ・ビエルサが下部組織の指導者をしていたニューウェルズ・オールドボーイズが目を付け、1987年に移籍した。 1987-88シーズン、ニューウェルズ・オールドボーイズでリベルタドーレス杯準優勝。1989年にリーベル・プレートに移籍。1989-90シーズン、リーベル・プレートでアルゼンチンリーグ優勝。しかしパサレラに評価されず、シーズン終了後、同じブエノスアイレスを本拠地とするリーベル最大のライバル、ボカ・ジュニアーズに移籍。ストライカーとして頭角を現した。1990-91シーズン、ボカ・ジュニアーズで19試合で11得点を叩き出した。
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