幼少時~大学卒業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/24 15:03 UTC 版)
1900年9月14日、現在の大分県別府市朝見にて安藤黄楊三・ミワ夫妻の六男として生まれる。父・安藤黄楊三は醤油醸造業や大分交通の前身の豊後電気鉄道の創業に携わるほか、豊後銀行頭取、大分県会議員を務めた名士である。生後3日目にして母が産褥熱で亡くなったことから、朝見に程近い浜脇で漁師をしていた阿部宇八・イネ夫妻のもとに里子へ出され、小学校入学前まで育てられる。 小学校入学の年、現在の大分市にあった実家に戻され、滝尾村立尋常高等小学校に進学。高等科1年のとき、旧制大分中学校(現・大分県立大分上野丘高等学校)に合格し進学する。中学5年のとき、近所の清酒醸造業の元に養子に出される。 その後、旧制第七高等学校造士館文科乙類を経て、東京帝国大学に進学。大学では独法を学ぶ。大学三年次に養家での縁談話を拒否したことから、実家・養家で問題となり、父と勘当同然となってしまう。また、卒業を前に高等文官試験を受験したものの失敗してしまう。
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