幼少時代・家族
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 14:39 UTC 版)
父(1903〜93)は、東京・文京区の実家で老舗の和菓子屋「田月堂」を経営していた。 母・俊子(1917〜2012)生涯を通じて麗子の心の支えだった。麗子が女優を目指したきっかけは、母に恩返しをして楽をさせたかったため。2人でよく旅行に行った。麗子は晩年まで母親のことを気にかけていた森進一との離婚後、父親を憎み、大原姓に戻りたくなかった麗子は、家庭裁判所を通じ、母方の飯塚姓にした。。 弟・大原政光(1949〜)3歳年下。獨協大学卒業後、銀行員を経て、麗子の個人事務所の社長となる。それ以前より麗子のドライバーなどもしており、公私ともに麗子をもっとも良く知る人物の一人。 弟が生まれると母の愛情を独り占めしたい大原は、母のオッパイを吸い始めた。母は止めさせるために乳首に唐辛子を塗ったが、それでも我慢して吸い続けた。子供の頃、ケンカが強くて男みたいで、頼りがいがあったという。 幼い頃から父から暴力をふるわれ、父に殴られて鼻の骨の右側がやや盛り上がってしまった。大原は女優になったあと、そこが目立たないように写真の撮られ方を気にしていた。8歳(小学2年生)の時に父の浮気が原因で両親が離婚し、自身は母に引き取られ、弟は父に引き取られた。 両親の離婚後、東京・赤羽にある母の実家に母と戻った大原だったが、その後も自身は父と弟の住む家を毎週のように訪ねていた。一方、弟も大原と母の住む家を訪れ、弟が帰る時は3人で泣いていたという。母子家庭で育ったため生活は豊かではなかったが、母は大原に愛情を注ぎ、大原をバレエ教室に通わせた。
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