幼少期 - 1998
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/18 01:40 UTC 版)
「イリーナ・スルツカヤ」の記事における「幼少期 - 1998」の解説
モスクワ市内の病院でロシア人の母ナタリアとユダヤ人の父エドゥアルトの長女として誕生した。生来身体が弱く、医者に外でのスポーツを勧められた。4歳の時にフィギュアスケートを始め、6歳からジャンナ・グロモワ (Zhanna Gromova) の指導を受けた。現在まで彼女のコーチはグロモワただ1人であり、スルツカヤも強い信頼を寄せている。 1995年、世界ジュニア選手権で優勝。1996年、ヨーロッパ選手権でロシア女子選手初の優勝を飾る。同1996年の世界選手権では初めて銅メダルを獲得した。 1998年の長野オリンピック、ショートプログラム(ワルツ)ではコンビネーションジャンプでトリプルルッツの予定がダブルルッツとなる失敗を犯し、5位スタートとなる。その後フリースケーティング(ロシア民謡)では、トリプルフリップで手をつくミスがあったものの、3回転トウループ-3回転トウループのコンビネーションジャンプを成功させ、技術点・芸術点ともに高い評価を受けた。しかしメダルにはあと一歩届かず、総合で5位入賞に留まった。 長野五輪直後の世界選手権では、優勝したミシェル・クワンに次いで、銀メダル獲得となった。
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