峰山町役場時代(1952-1955)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/03 14:34 UTC 版)
「京丹後市立峰山図書館」の記事における「峰山町役場時代(1952-1955)」の解説
太平洋戦争後の1947年(昭和22年)秋、京都府中郡峰山町の青年団文化部が一戸一冊の献本運動を行い、リヤカーで町内を回って約2,000冊の図書を集めたうえで、峰山町に対して図書館の設置を要望した。峰山町は1951年(昭和26年)7月31日に公民館事業の一環で図書館の設置事務を開始し、寄贈所の分類や新館の購入などの図書館設置準備を行った。 1952年(昭和27年)2月1日に峰山町役場の一室を改装して峰山町立図書館が開館した。2月20日には図書館条例と図書館規則が制定され、2月1日にさかのぼって適用された。戦後の京都府にできた図書館としては早い時期のものだった。館長は開館時の挨拶で図書館を「個人の希望を無駄なく助長し、援助する最も自由な素質伸張の教育形態」と位置付けている。 開館時の図書室の面積は9坪であり、蔵書734冊が日本十進分類法で配架された。青年団文化部が集めた図書のうち、戦時色の強い図書は取り除かれている。閲覧用の雑誌として、『暮しの手帖』『週刊朝日』『アサヒグラフ』『中央公論』『文藝春秋』『新潮』『婦人朝日』『キネマ旬報』を用意し、また新聞3紙も用意した。1953年(昭和28年)1月2日には閲覧室が改修されて13坪半に拡張された。 なお、峰山町立図書館開館前の1950年(昭和25年)7月には、峰山町の奥丹地方教育局の一室に京都府立図書館峰山地方分館が開館している。地方分館とは各地の公民館や町立図書館に間借りしたものであり、京都府立図書館本館から新刊の供給を受けて、団体を対象に貸出を行った図書館のことである。峰山地方分館には職員1人と図書2,000冊が配置された。奥丹地方教育局は1942年(昭和17年)7月1日に丹後震災記念館に設置されており、1950年5月6日には旧・峰山町立峰山女学校校舎に移転していた。峰山町立図書館が丹後震災記念館に移った直後の1955年(昭和30年)6月1日には、旧・丹波村役場建物に移転している。1956年度(昭和31年度)の蔵書数は4,670冊であり、1956年度には646団体が19,982冊を貸出している。 戦前の京都府北部にあった図書館では、舞鶴市立西図書館(舞鶴市)、福知山市立図書館(福知山市)、宮津市立図書館(宮津市)が戦後も図書館サービスを継続した。戦後には1946年(昭和21年)に舞鶴市立東図書館(舞鶴市)ができ、次いで1950年(昭和25年)に綾部市図書館(綾部市)、1952年に峰山町立図書館、1954年(昭和29年)に大江町図書館(加佐郡大江町)ができている。
※この「峰山町役場時代(1952-1955)」の解説は、「京丹後市立峰山図書館」の解説の一部です。
「峰山町役場時代(1952-1955)」を含む「京丹後市立峰山図書館」の記事については、「京丹後市立峰山図書館」の概要を参照ください。
- 峰山町役場時代のページへのリンク