峰山小学校本館
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/05 14:25 UTC 版)
「京丹後市立峰山小学校」の記事における「峰山小学校本館」の解説
1927年(昭和2年)の北丹後地震では校舎がめちゃめちゃになり、教員や園児・児童・生徒に計212人の死者を出した。日本全国から集まった震災義援金や峰山町民のカンパを新校舎の建設資金に充て、1929年(昭和4年)10月には鉄筋コンクリート構造の新校舎(峰山小学校本館)が完成した。設計者は丹後震災記念館の設計も手掛けた一井九平であり、峰山小学校本館のほうが丹後震災記念館の竣工よりわずかに早い。2階の講堂の高さは約6メートルもある。 北丹後地震後にはいくつかの小学校の建築に鉄筋コンクリート造が用いられたが、峰山小学校本館はその中で唯一現存する建物である。1998年(平成10年)時点では戦前に建設された北丹地域唯一の学校校舎だった。文化財指定はなされていないものの、地方都市には希少な近代建築である。
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