峰山京極子爵家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 00:50 UTC 版)
最後の峰山藩主京極高陳は、1869年(明治2年)に華族に列するとともに版籍奉還で知藩事に転じ、1871年(明治4年)の廃藩置県まで務めた。1884年(明治17年)7月8日に旧小藩知事(豊岡藩は現米6030石だったので現米5万石未満の小藩に該当)として子爵に叙せられた。京極高頼子爵の婿養子となり爵位を継いだ京極高鋭は東京日日新聞や読売新聞の記者として音楽ジャーナリストとなり、内閣情報部や陸軍省の嘱託を経て、戦後も音楽評論家として活躍した。 昭和前期に峰山京極子爵家の邸宅は東京市麹町区九段にあった。
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