宮城の施設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/18 17:24 UTC 版)
外朝(がいちょう) 官吏が政務を行う場。蒼明宮(そうめいきゅう) 国の最高機関。正面に正殿、周りに中央省庁が配置されている。六部より奥にある。モデルは長安城の大明宮か。宣政殿(せんせいでん) 王が群臣と謁見する場所。正月は宣政殿がにぎわう。側面扉からも入れる。モデルは長安城の宣政殿か。 大堂(おおひろま) 朝儀が開かれる場。礼部預かりの進士が朝に集まる会場でもある。両方とも角川ビーンズ文庫版では席があったが、角川文庫版では削除されている。 政事堂(せいじどう) 宰相会議や緊急朝議が開催される場。紫戩華によって、政事堂内での跪拝の出迎えは禁じられた。現実の政事堂は建物でなく会議そのものを指す。 奉天殿(ほうてんでん) 正式な行事はすべてここで行われる。王宮一の広さ。 府庫(ふこ) 図書室(ずしょしつ)とも。秘書省の管轄。外朝の中でも後宮に近い場所に位置し、近くには池がある。開架書庫の他、個室や仮眠室を備える。希少蔵書室の貸切には、州牧ほどの高官の署名入り書翰が要る。 紅邵可が10年以上府庫番をしていたが、当主継承の為に退官した。彼が府庫に居た頃は紫劉輝が毎日顔を出し、邵可の父茶を飲んでいった。 宝物庫(ほうもつこ) 戸部の管轄。何日見学しても足りないほどの広さ。鍵は稀代の鍵師の製作で、この世に一つきりで複製不可能。この鍵は茶州の禿鷹に盗まれた事がある。干將と莫邪も仙洞省管理でここに収められていた。 冗官室(じょうかんしつ) 冗官達に与えられた一室。春本が散乱するなど散らかり放題だったが、紅秀麗が冗官達に片付けさせた。 仙洞宮(せんとうきゅう) 仙洞省の管轄にして、縹家の縄張り。本編当初は仙洞省と呼ばれていた。一見質素な高楼だが、随所にびっしりと施された彫刻と飾り細工、数々の画、計算し尽くされた設計の合わせ技で、影絵のような存在感を持つ。八州の中心に位置する神域。ここに魑魅魍魎を封じたことで、貴陽は夢の都となった。各所の神域からの力も受け、中にあるものを押し返している。いつもは鍵がかかっていて、中には入れない。中は表向きのものと、封印が解けた時に開く裏側とがある。 牢城(ろうじょう) 紫州に点在し、王城の一角や紫州府の隅にもある。刑部管轄の刑部牢と御史台管轄の御史牢がある。刑部牢の最下層は来俊臣の寝室と化している。御史牢は主に政治犯の勾留に使う為、刑部のものより頑強ではない。 後宮(こうきゅう) 王の妃と子が住まう場。内侍省の管轄。宦官が居ないからか、男性の立ち入りには緩く、居候が許可されることもある。女官の姓は伏せる習わしだが、貴妃は訊こうと思えば訊ける。王の寝所は別にあるらしく、劉輝が暫く後宮へ行っていないと独白したり、楸瑛が珠翠に後宮に居ないと思ったら王の寝所だったかと発言している。紫宸殿(ししんでん) 紫劉輝が怪我人が発生した時の治療場所として手配した。女官が行き来していることから後宮内にあると思われる。モデルは長安城の紫宸殿か。 桃仙宮(とうせんきゅう) 後宮のはずれにある離宮。桃遊池の辺に佇む。桃仙亭という四阿は隠れた桃花の名所。 祥景殿(しょうけいでん) 後宮の一角にあり、御史台が百合の軟禁場所として選んだ。その繋がりで冗官になった李絳攸がここを本拠に情報収集していた。本編後、鄭悠舜一家の住処となる。 穀物庫(こくもつこ) 地下にある蔵。幼少期の紫劉輝はよくここに数日閉じ込められていた。 庖厨所(りょうりどころ) 礼部からの委託で、毎日進士向けに折詰を仕出しする。よく酒呑みに酒を持ち出される。医官達が人体切開の練習として、ここで獣や魚を捌いていた。長は尚食官長。 高楼(こうろう) 禁苑の一角にある楼閣。ここの天辺からは城下を一望できる。 丹鳳門(たんぽうもん) 城門の一つ。蒼明宮への入り口。モデルは長安城の丹鳳門か。 芳林門(ほうりんもん) 城門の一つ。劉輝が都落ちする時に、紅姓官吏が開けておいた。モデルは長安城の芳林門か。
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