宮城まり子版
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宮城まり子は1959年(昭和34年)、『サウンド・オブ・ミュージック』をブロードウェイ公演の初日に見て感銘を受け、帰国後岩谷時子の日本語詞で吹き込んだ。宮城版は1962年(昭和37年)発売のLP『まり子のミュージカル』(ビクター LV-263)に収録され、1963年(昭和38年)7月にシングルカットされた。宮城版の曲名は「ドレミの唄」である。 宮城は1962年の『第13回NHK紅白歌合戦』でも「ドレミの唄」を歌っている。
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