孫堅の台頭と孫策の江東平定とは? わかりやすく解説

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孫堅の台頭と孫策の江東平定

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/22 14:44 UTC 版)

呉 (三国)」の記事における「孫堅の台頭と孫策の江東平定」の解説

孫堅は呉の力弱い豪族呼ばれる出身であった孫堅の家は代々呉郡富春県(浙江省)で役人をしており、その家格低く家柄重視されていた後漢政界の中では軽視されていた(ただし韋昭の『呉書』によると、孫堅一族『孫子』著者孫武末裔だと称して代々小役人つとめた記している)。治世各地の県丞を歴任した。しかし自らの実力をもって徐々に位を上げていき、黄巾の乱においては朱儁配下入り功績挙げて戦後別部司馬別働隊をの指揮執る武将となった戦後辺章韓遂反乱鎮圧功績挙げて長沙太守に任ぜられた。 189年洛陽董卓暴政を布いて関東豪族反感を買い反董卓連合軍結成されると、孫堅出兵してその中途武陵太守曹寅光禄大夫の温毅の檄文偽造した偽の檄文受け取って荊州刺史王叡南陽太守張咨らを殺害しそのまま南陽乗り込んだ袁術配下入った連合軍初めから戦意薄かったが、袁術孫堅董卓一進一退の攻防繰り返し董卓武将華雄討ち取り呂布撃退したその後董卓洛陽焼き払い歴代皇帝陵墓荒らして西の長安へと去っていった。孫堅は主のいなくなった洛陽入り復興陵墓修復当たったまた、これに前後して豫州刺史孔伷亡くなったため、孫堅袁術の上表により、行破将軍(破将軍代行)・豫州刺史の位を得た。 しかし、袁紹孫堅豫州刺史認めず豫州刺史として周喁を送り込み袁術孫堅らと対立する。これによって連合軍は完全に崩壊し袁術孫堅袁紹・周喁と豫州巡って戦争になる。反攻機会見た董卓洛陽を再占領するために朱儁送り込むが、朱儁董卓裏切って袁術のもとに降伏し中牟駐屯した。 荊州刺史劉表は反董卓連合結成され当時袁術との関係は良好だったが、二袁の争い袁紹側についていたため、関係が悪化袁術劉表討伐乗り出す191年もしくは192年孫堅襄陽侵攻し劉表部将である黄祖の軍を打ち破るが、追撃途中流れ矢一説には落石)に当たって死亡した襄陽の戦い)。 孫堅亡き後、その軍団は甥の孫賁指揮元に袁術旗下入り長男孫策は兵を取り上げられ、全く力を失った。しかし父と同じようにその状況からのし上り袁術から貰ったわずか1,000ばかりの兵を元に江東長江の東、江蘇省安徽省)の劉繇王朗らを撃破またたく間江東制覇した孫策周りには程普黄蓋韓当孫堅時代からの配下加え周瑜太史慈張昭・張紘魯粛などの人材集まり、その伸張ぶりから「項羽に似る」と評された(孫策の江東平定)。 197年袁術皇帝僭称するということ起きた大勢力を蓄え、もはや袁術に従う理由がなかった孫策にとってこれは渡りに船であり、袁術絶交し献帝手中にして道義的正当性手に入れていた曹操に付くことにした。曹操四方に敵を抱えている状態であったのでこれを喜び曹操の弟の娘が孫策の弟の孫匡嫁ぐことで同盟成立し孫策は討逆将軍・呉侯の位を得た孫策はさらに長江の北にいる劉勲討ち父の仇である黄祖散々に打ち破った200年、北の曹操袁紹との官渡の戦い入り首都許昌防衛はかなり薄かった。これに乗じて孫策許都侵攻作戦企てる。ところがその矢先孫策はかつて殺した許貢息子とその食客による襲撃を受け重傷負い命を落とす曹操幕僚である郭嘉は「孫策江東制覇したが、いまだしっかりとは治まっておらず、いずれ刺客により殺害されるだろう」と言っている。

※この「孫堅の台頭と孫策の江東平定」の解説は、「呉 (三国)」の解説の一部です。
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