奇跡的経済復興
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/01 03:19 UTC 版)
戦後から第一次石油ショックまでの時代は、高度経済成長と高い所得増加の時代であった。所得水準は、西ヨーロッパとアメリカと同じであり、失業率も減少、物価は比較的安定しており、労働者の所得も上昇した。エアハルトが目標として設定した「万人のための福祉」は、より現実的に達成可能であるように思われた。「奇跡的経済復興(ドイツ語版)」という言葉はよく使われているが、しかしエアハルト自身はこれを否定していた。経済成長の原因は、専門分野では合意に至っていない。社会的市場経済を導入したことがその原因であるとする理論もあるし、ドイツの経済成長はアメリカに対して西ヨーロッパが成長を取り戻す段階にあったためとする理論もある。 ヘルベルト・ギーアシュ(ドイツ語版)、カール=ハインツ・パック(ドイツ語版)、ホルガー・シュミーディンク(ドイツ語版)は、経済政策の重要性を秩序政策の形態に見ている。経済復興が成功したのは、市場経済というショック療法(ドイツ語版)によってであり、通貨改革と価格自由化が個人への供給できる体制を可能にし、慎重な貨幣政策・財政が金銭の安定性を保証した。1950年代の成長は、規制緩和と内容豊かな企業の利潤によって引き起こされた。ヴィルガ・フェステ(ドイツ語版)によると、「奇跡的経済復興」の十分条件ではなかったが必要条件であった。 「奇跡的経済復興」は、この時代、もちろん西ヨーロッパ諸国も経験していた。フランスは、ドイツと同様の所得水準まで発展していた。マーク・スペーラ―によると、フランスは長期経済発展計画(ドイツ語版)によって、干渉主義(ドイツ語版)的な経済政策を顕著に追求しており、このことから、私的所有権と競争に対する最低限の措置が保証されているのであれば、様々な経済政策の構想があったとしても、そこには実際の意味はほとんどない。トマス・ヴィットナーによると、フランスはまとまった経済構想を持っておらず、さらに社会的市場経済の構想もその政治的な後押しが不正確であり、その意味で両国とも理論的な根拠をもち包括的な秩序政策構想が欠落していた。ビットナーによると、今日までほとんど研究されてこなかったため、ドイツの社会的市場経済構想やフランスの長期経済発展計画構想が、そもそも戦後の西ヨーロッパにおける高度経済成長に貢献したのかどうか、したとすればどの程度なのかは判断することができない。 多くの経済学者(とくにアンガス・マディソン、ウィリアム・ボーモル、アレクサンダー・ガーシェンクロン、ゴットフリート・ボンバッハ(ドイツ語版))が主張している「巻き返し論(Aufholthese)」(英語ではキャッチアップ理論と言われている)によると、戦後の西ヨーロッパ経済は、技術的にリードしていたアメリカの経済に対する巻き返しを始めていた。当時西ヨーロッパ企業は、アメリカの企業を模範として方針を決定することができた。巻き返しプロセスは、先進国アメリカの庇護のもとで行われたのであり、だからこそ高度な経済成長が可能になった。アメリカ経済並みの生産性レベルに届き、巻き返しプロセスが終わると、西ヨーロッパの経済成長は軒並み低い水準に留まった。ルットガー・リンドラーは、巻き返し論を根拠にして西ヨーロッパで急速な経済成長が起こった条件を歴史的に特徴的な状況から分析している。彼によれば、社会的市場経済は急速な経済成長に必要な条件ではなかった。巻き返し論は、1950年から1973年までの時期に西ヨーロッパと日本が生産性を急速に向上させた理由を論理的・経験的に説明している。もちろん、どうして西ヨーロッパは第二次大戦後になってからアメリカに対して巻き返しをしたのか、OECDに加盟していない多くの国々はなぜ巻き返しを図らなかったどころか、落ち込みさえしたのか、ということを巻き返し論は説明しておらず、この点を彼は批判している。新古典主義的な成長理論における巻き返し論の「単純な」あり方に対しても彼は批判している。これについての説明として有力なのは、巻き返し論を拡張した人たちの説明である。モーゼス・アブラモヴィッツによると、巻き返しプロセスの恩恵に与れるには、ある程度の発展水準と、いくつかの制度的な前提が必要である。ロバート・バローによると、私有財産権と自由な市場は経済成長にポジティブな影響を与えるが、インフレと国家のシェアが占める割合が高い状態は経済成長にネガティブな影響を与える。
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