大鵬部屋を継承
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2004年(平成16年)1月に大鵬部屋を継承して部屋師匠となり、部屋の名称は大嶽部屋に変更となった。しかし現役時代に手を染めた賭博をやめられず、賭博の借金を大鵬に何度も肩代わりしてもらっていたと本人は述懐している。 2006年(平成18年)7月場所7日目(15日)、露鵬が名古屋場所取材中の毎日新聞社・中日新聞社のカメラマンに対して暴行し、毎日新聞のカメラマンにけがを負わせた件で、16代大嶽は監督責任を問われ減俸3か月(10分の1)の処分を受けた。2008年(平成20年)9月2日、露鵬は弟の白露山とともに抜き打ちの尿検査で大麻の陽性反応が確認された。同月3日の取材で16代大嶽は「まだ一概には(陽性が決まったとは)言えない。弟子を信じる」と弟子を擁護し、露鵬を発掘した大鵬は同月4日に白露山の師匠の北の湖理事長と国技館内で2時間の会談を行っている。会談後、大鵬は「露鵬は以前は私の弟子、子供だったのだから、『大麻はやっていない』という言葉を信用するのは当然だ」とコメントした。同月6日、16代大嶽は露鵬・弁護士と共に部屋で会見後、年寄総会で「協会の検査はおかしい」「裁判で争います」と徹底抗戦の姿勢を見せた。翌7日には北の湖理事長を北の湖部屋に訪問して弟子の潔白を訴えている。しかし精密検査でも陽性の結果が出ており、所属する二所ノ関一門の臨時会合で親方衆は「とりあえず頭を一度冷やして、落ち着いて考えろ」「このままでは部屋の存続さえも危うくなる」などと16代大嶽を諫めた。同月8日、露鵬と白露山兄弟は相撲協会を解雇され、16代大嶽は監督責任を問われて委員から年寄に2階級降格となっている。 兄弟は解雇処分を不服として力士としての地位確認を求める訴訟を起こしており、16代大嶽は2009年(平成21年)8月・9月の公判に出廷して兄弟を庇う内容の証言を行った。「尿を出せば100%終わりと思い、部屋に帰そうとした。部屋に帰ったら、どうにかうまいことになるという考えもあった」ため、「オレたちクビですか」ときいたところ「クビにしないから尿を出してくれ」と言われたので検査に応じたところ、友綱理事が警視庁に通報して兄弟は連行された状況を「はめられたと思った」と振り返る内容のもので、16代大嶽が隠蔽を図っていたとも受け取れる。なお、兄弟の主張は認められず、訴えは棄却された。 「大相撲力士大麻問題#露鵬と白露山の大麻吸引・所持疑惑」および「露鵬幸生#問題行動」も参照 2010年(平成22年)1月8日、二所ノ関一門が臨時会合を開いた。現職の17代放駒と10代二所ノ関、新たに立候補した13代鳴戸と貴乃花の4人のうちから同年2月の理事選の立候補者を3名に調整しようとしたが失敗し、貴乃花が二所一門を離脱しての出馬を表明。同月19日に再び行われた二所一門の一門会には27名の親方が出席、冒頭の多数決で「(貴乃花を支持する6親方は)退席すべきだ」とされ、16代大嶽は12代二子山・15代常盤山・19代音羽山・12代阿武松・18代間垣とともに一門を事実上の破門となった。この時に「(義父の)納谷幸喜氏(第48代横綱)も支持している」と話しており、当選ラインの10票まで集票の協力をし、貴乃花派以外の他の一門の親方に賛同を呼びかけた。そして同年2月1日には二所ノ関一門から1票、立浪一門から2票の造反票も得て、貴乃花が理事に初当選した。 翌2日の深夜、一門の重鎮である2代大島が落選する結果となった立浪一門から造反票を投じた5代安治川(元幕内・光法)に、会見場所として大嶽部屋を提供した。5代安治川より先に記者たちの前にあらわれ、相撲人生をかけて貴乃花に投票した5代安治川が相撲協会を退職する決意を固めていることについて「こういう形になったが、安治川親方が腹をくくってくれた。ありがたいとしかいいようがない。その気持ちしかない」と感謝の言葉を述べた。
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