大鵬の連勝を阻止とは? わかりやすく解説

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大鵬の連勝を阻止

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/01 15:11 UTC 版)

羽黒岩智一」の記事における「大鵬の連勝を阻止」の解説

1969年昭和44年3月場所円熟期を迎えていた横綱大鵬は、その前の1月場所終了時に2場所連続全勝通算連勝も彼自身の最高、また戦後高でもある44まで伸ばしていた。それがどこまで伸びるかが場所前の焦点であった戸田大鵬取組2日目組まれた。戸田立合いからぶちかましノド攻めの後、両ハズ一気土俵際まで大鵬押し込んだ当時大鵬弱点として「序盤平幕押し相撲ということ言われその3つすべてを持っていた戸田には、番狂わせ期待されていた。しかし大鵬も、回り込みながら叩くと、戸田右足一瞬土俵の外に出て蛇の目の砂掃いた。しかし次の瞬間戸田大鵬押し出し、自らも土俵の下に突っ込んでいった。この取組裁いていた立行司22式守伊之助大鵬軍配上げたが、すぐに西溜勝負審判務めていた千賀ノ浦(元大関栃光)から物言いがついた。正面審判長春日野(元横綱錦)(審判部長)は「戸田の足が出たと言ったが、他の4人の勝負審判全員がそれを見落としていたため、協議結果行司差し違え戸田の勝ちとなり、大鵬連勝45終わってしまった。戸田大金星挙げた。この一番がこたえたか、大鵬体調崩し3日後の5日目急性肺炎理由休場してしまった。 ところが新聞テレビ写真映像には、戸田右足土俵割った瞬間捉えられていた。このことで「明らかな誤審だ」とする批判大きく上がり中には春日野審判部ばかりか武蔵川理事長(元前頭筆頭出羽ノ花)にまで責任を問う声もあった。この場所はほかにも9日目の大関琴櫻前頭2枚目・海乃山との対戦でも疑惑の判定があったため、場所後相撲協会物言いがついた時の判定に、ビデオ映像参考にすることを決めた(もっとも、導入準備かねてから行われていたようで、機材準備もできていたが、3月場所大阪開催されるために機材を運ばなかっただけで、この場所もやろう思えば可能だったという。そのために、間髪を容れず導入決定したという印象与え結果にもなった)。のちにマスコミ等は「世紀の大誤審」として大きく取り上げ事となる。それでも、この問題について大鵬1度も不満を口にせず、むしろ誤審を招くような相撲をとった自分責任があるとして、「ああいう相撲をとった自分が悪いんです」とだけ語っていた。 次の5月場所戸田4日目横綱柏戸対戦した。この時ももつれた相撲になったが、ビデオ映像参考にされて戸田2つ目の金星挙げることができた(これが最後金星でもあった)。その意味で、ビデオによる判定深くかかわった力士であった

※この「大鵬の連勝を阻止」の解説は、「羽黒岩智一」の解説の一部です。
「大鵬の連勝を阻止」を含む「羽黒岩智一」の記事については、「羽黒岩智一」の概要を参照ください。

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