大出力エンジン開発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 02:46 UTC 版)
「日本の気動車史」の記事における「大出力エンジン開発」の解説
日本の鉄道用ディーゼル機関技術は、気動車用標準型「DMH17系」(150 PS - 180 PS)、ディーゼル機関車用標準型「DML61系」(1,000 PS - 1,350 PS) の実用的な成功以後、保守・堅実の傾向を強め、1950年代 - 1970年代を通じて、欧米からは立ち後れていた。 これらのエンジンは信頼性こそ高かったものの、サイズや排気量の割には低出力かつ高燃費であり、優等列車・勾配線用気動車や幹線用の大型機関車では1両にエンジン2基を搭載する必要があった。このような問題を解消するため、国鉄では気動車用に過給器を装備した大出力エンジン開発の試みが続けられていた。 1959年にDD13形機関車のDMF31S系エンジン (370 PS) を水平シリンダ型のDMF31HS系 (400 PS) に設計変更して気動車に転用することで、キハ60系(キハ60形・キロ60形)が試作されたが、エンジン・変速機技術、特に大出力を受け止める変速機設計技術の未熟から実用化に失敗した。 1966年には、全面的に新開発されたDMF15系 (300 PS) およびDML30系 (500 PS) 機関を搭載した急行形気動車キハ90系を試作、一定の成績を収める。 これに伴い、1968年にはDML30HS系機関を搭載した特急形気動車キハ181系を量産化した。このDML30HS系機関は翌1969年に、急行形気動車の冷房電源確保用として開発されたキハ65形にも搭載された。 しかし、DML30系機関は必ずしも全面的な成功作とは言い難かった。旧弊な副燃焼室式中速ディーゼルエンジンを発展させたDML30系エンジンの発熱量は設計段階での想定以上に大きく、また過給器付の多気筒エンジンであり構造が複雑で騒音・振動が大きく、85 km/h以下の全速度域において動力変換効率の低い変速段を常用する液体変速機の特性もあって、いくつもの整備面の課題を抱えていた。 これらの問題に加え、キハ90・181系ではコストダウンと機関出力の有効利用を狙って屋根上搭載型の自然放熱式冷却機構が採用された結果、急勾配区間が連続する山岳線での運用において放熱能力不足による機関・排気管の過熱トラブルが頻発した。この問題を克服するには別途強制冷却機構を追加する必要が生じ、設計時期がやや遅れたキハ65形以降では、軸重の制約もあって機関出力の損失を承知で強制冷却機構のみとしている。 このDML30系機関は実用化と相前後して幹線電化が進展し、優等列車用気動車増備の需要が一段落したことや、量産開始後にオイルショックが発生し、国鉄が従来非電化のままでの近代化を計画し、一時はガスタービン動車の導入さえ検討していた亜幹線クラスの路線についても電化を推進するように方針転換したこともあって、その生産数は伸び悩んだ。 1970年代中期までのDML30系機関の採用例は、キハ181系・キハ65形以外には北九州地区の快速用キハ66系と試験車のキヤ191系の2系列があるのみで、しかも当初は「汎用気動車」を標榜し次代の一般型気動車のひな形とされたキハ66系は軸重過大などの理由から製造両数は30両にとどまった。1976年までのDML30系機関搭載車の総数は、試作車であるキハ90系を含めても307両と当時5,000両を数えた国鉄気動車の総数からすればわずか6 %程度の低水準である。 しかもキハ66系では先行したDML30系機関搭載各系列でのエンジントラブルに鑑み、その対策として当初から440 PSに出力が抑制されており、後にキハ181系などでも信頼性向上のために出力低下措置が実施されている。
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