土岐氏流明智氏とは? わかりやすく解説

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土岐氏流明智氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/16 08:47 UTC 版)

明智氏」の記事における「土岐氏流明智氏」の解説

摂津源氏流れを汲む土岐氏一族で、南北朝時代美濃国守護土岐頼貞土岐氏としての美濃国守護初代)の九男であった九郎長山頼基の子明智九郎頼重後裔とされる明智氏室町幕府直接仕え奉公衆務めた代々可児郡長山明智城に拠ったとされており、戦国時代斎藤道三土岐氏降し美濃国掌握すると、その傘下入り生き残りを図ることに成功する。しかし、その後の道三・義父子内紛で道三に味方したため攻め滅ぼされた。ただし、一族明智光秀落ち延びたことで完全な滅亡だけは免れている。 明智光秀出たことで著名となる。光秀越前朝倉氏仕えたのち、朝倉氏寄宿していた足利義秋(のち義昭改名)を細川藤孝とともに征夷大将軍として擁立義昭足軽大将となると共に義昭尾張国織田信長仲介信長の家臣にもなる。光秀信長統一事業において活躍し数々功績結果坂本城主と丹波亀山城となった信長義昭追放した後は信長のみに仕える)。1582年光秀本能寺の変信長を討つも、山崎の戦いにおいて羽柴秀吉前に敗死した。光秀一族のうち嫡流明智光慶光秀従兄弟あるいは娘婿であった明智秀満などといった主だった者や有力な者は坂本城自害僧籍にあった者や庶流などは各地散らばり大名として明智氏滅んだ光秀以前明智氏系譜について諸説あるが、江戸時代上野沼藩主となった土岐家明智氏流れであるとされ、同家伝来いわゆる土岐文書」は、光秀以前明智氏動向を知る上で不可欠な史料となっている。この沼田家譜においても、明智氏の祖は土岐頼貞の九男長山頼基で、その子頼重初め明智氏名乗ったとされている。 暦応2年1339年)、頼重美濃国土岐郡妻木郷、多芸荘内多芸嶋・榛木地頭職を頼貞より譲られ足利直義安堵される。文和4年1355年11月頼重所領下野入道譲られ貞治5年1366年某月尾張国海東荘天龍寺管領地をのぞく)、美濃国妻木郷内笠原半分曽木村細野村同国多芸荘内春木郷、武蔵国大井不入地頭職を、民部少輔頼重讓状まかせて足利義詮安堵される。永徳3年1383年7月土岐下野守法名浄皎)が尾張国海東荘(除天龍寺領)、美濃国妻岐郷内笠原半分曽木村細野村同国多芸荘内春木郷・多芸嶋郷、高田河合郷、武儀内野所・安弘見・加藤郷、同国伊川郷(伊川新兵衛尉跡)、武蔵国大井不入頼重跡の地頭職を、足利義満安堵される。明徳元年1390年12月、おそらく土岐康行の乱関連して土岐明智氏王丸(頼篤)の「本領」が義満安堵され、応永6年1399年11月土岐明智十郎頼篤の所領である多芸荘内多芸嶋郷、同荘内□□(春木か)郷等(土岐下野入道跡)に対す島田氏の濫妨禁止せよとの遵行命令土岐美濃入道出される。国篤は応永34年1427年2月21日付けで、①当知行在所譲与するもの也。このほか不知行在所御判等の証文をゆずる上は、忠節をいたし、知行まっとうすべし。②弟小法師丸のことは、知行のうちをもって扶持をくわうべきもの也。③子共、母のゆずりのこと、一期のあいだ、相違べからざるもこ也。という置文遺言)を残し同年6月土岐明智長寿丸(頼秋)の所領である妻木郷・武儀内野所郷等が足利義持安堵されるも、これ以外の所領不知行となる。その後明智氏幕府奉公衆となっており、『文安番帳』(文安年中御番帳、成立時文安元年1444年5月文安6年1449年正月)には外様衆として土岐明智中務少輔見え文安4年1447年)、土岐明智十郎(頼秀)は、中条左馬助中条兵庫頭入道常秋の争いに際して幕府から常秋への合力命じられている。『永享番帳』(永享以来御番帳、成立時宝徳2年1450年正月〜亨徳4年1455年正月)には載っていない。『文安番帳』『長亨番帳』の四番衆にその名が見え奉公衆末裔たる久下家に伝わる『久下文書所収四番交名成立時長禄3年1459年)末〜寛正6年1465年8月)に土岐明智兵庫頭、『長亨番帳』(長亨元年九月十二日常院殿江州御動座当時在陣衆着到成立時期長亨元年1487年9月)の四番には土岐明智兵庫助土岐明智左馬助政宣の両名が、『東山番帳』(東山殿時代大名外様附、成立時明応元年1492年5月明応2年正月)の四番明智兵庫頭見える。延徳2年1490年)ごろ、明智兵庫頭入道玄宣と一族の上総介父子頼尚・頼明との間に内部抗争発生し上総介父子狼藉妻木全域に及ぶ。明応4年1495年3月、玄宣と頼定(頼尚の父)は知行地折半和睦を結ぶ。この和睦期に妻木郷では庶流である上総介家(頼尚・頼明)による新たな領主制展開する文亀2年1502年)には頼尚が妻木郷の大部分支配し、かつその正当性主張する。そして嫡子頼典を義絶し、所領はすべて彦九郎明に譲る。

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