土岐太郎忠功
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/07 15:37 UTC 版)
号は適斎。寬三郞、忠功。高島秋帆の次男で、長崎の町年寄の久松家の当主。高島浅五郎(高島秋帆の長男)の弟で、久松碩次郎(高島秋帆の次兄)の甥。 高島流砲術、および荻野流砲術を修める。長崎の遠見番の白江竜吉に砲術を教えており、長崎砲術の中興といわれるが、高島秋帆の疑獄事件により高島流砲術は一時中絶する。 『日本人名大事典』第5巻および『評伝 高島秋帆』、『高島秋帆 人物叢書』では久松家の跡を継いだとあるが、忠功が当主となったのは、分家の久松土岐太郎家である。
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