土岐肥田氏の代表的な人物
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肥田次郎光房 - 土岐浅野の地で肥田を名乗る。肥田氏祖(1220年(承久2年))。 肥田次郎左衛門尉 - 康元2年(1257年)鎌倉御家人として将軍北条時宗警護(2の馬)を行う。。 肥田伊豆守四郎頼衡 - 観応3年(1352年)室町幕府初代将軍足利尊氏により伊豆守に任ぜられる。 肥田源六満昌 - 明徳3年(1392年)3代将軍足利義満より偏諱を受け、金銀薄直垂、白太刀、左右巻の刀を授かる)。明徳3年(1392年)8月28日相国寺供養参仕人に帯刀とし参拝。 肥田信濃守 - 3代将軍足利義満より信濃守に任ぜられる。 肥田左馬介持重 - 4代将軍足利義持より偏諱を授かる。応永28年(1421年)、義持公病気平癒祈願を行う。 肥田修理介 - 応永31年(1424年)3月21日、御台参宮に供をする。 肥田中務少輔 - 6代将軍足利義教の第4番奉公衆。 肥田伊豆守持重 - 宝徳元年(1449年)8月28日、八代将軍・足利義成(のちの義政)の初参内に随った帯刀交名に名があり、帯刀として幕府に出仕していた。 肥田中務少輔直盛 - 肥田判官、9代将軍足利義尚の第4番奉公衆。 肥田孫太郎 - 長享3年(1489年)、船田の乱にて戦死。 肥田中務少輔 - 肥田判官、第10代足利義材の第4番奉公衆。船田乱にて土岐元賴に従い戦死。 肥田兵部少輔軌吉 - 永正12年(1505年)、米田庄福島に米田城築城、城主。 肥田玄蕃家鎮 - 弘治2年(1556年)、斎藤義龍の長山城攻めで戦死。 肥田玄蕃允直勝 - 義直、永禄8年9月織田信長に臣従。宇佐山城を浅井・朝倉方の攻撃から守る。天正10年7月19日森長可の攻撃を受け加治田城へ移り討死。墓所龍洞寺 肥田玄蕃家澄 - 明智光秀旗本、本能寺の変、山崎の戦いに参陣。 肥田玄蕃助軌休忠政 - 永禄3年(1560年)米田城城主。本能寺の変と同時に金山砦を制圧、東濃を抑える。
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