啓蒙専制主義と領土の拡大とは? わかりやすく解説

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啓蒙専制主義と領土の拡大(1761年 - 1796年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 05:42 UTC 版)

ロシア帝国の歴史」の記事における「啓蒙専制主義と領土の拡大(1761年 - 1796年)」の解説

詳細は「ピョートル3世 (ロシア皇帝)」、「エカチェリーナ2世 (ロシア皇帝)」、および「ポーランド分割」を参照 1761年12月25日エリザヴェータ死去する後継者指名されていた甥のピョートル3世在位1761年 - 1762年)が即位したピョートル3世貴族支持を得るために国家勤務義務廃止したが、プロイセン王フリードリヒ2世崇拝する彼は優勢に進んでいた七年戦争から離脱してプロイセン講和を結び(サンクトペテルブルク条約)、また正教会圧迫したことで人々反感受けた即位から僅か半年クーデターロシア語版)が起きピョートル3世廃位され近衛隊正教会支持受けた皇后エカチェリーナ皇帝即位した皇帝即位したエカチェリーナ2世在位1762年 - 1796年)はドイツアンハルト=ツェルプスト侯爵英語版)家に生まれロシア人の血を一滴ひかない女性だった。 学識深く啓蒙君主自任するエカチェリーナ2世1766年に各身分の代表からなる新法編纂委員会を組織させ、モンテスキューの『法の精神』やベッカリーアの『犯罪と刑罰』など西欧啓蒙思想盛り込んだ急進的な訓令英語版ロシア語版)」(ナカース)を発するが、結局成果上げることはできなかった。エカチェリーナ2世自由経済促進宗教的寛容教育・医療施設の建設出版文芸振興と云った啓蒙思想基づいた近代化諸政策に着手したいずれも中途半端に終わっている。 エカチェリーナ2世は「訓令」で農奴制緩和言及していたが、実際に貴族要求応えて農奴制をいっそう強化させていた。このような農奴制強化社会的背景として、1773年プガチョフの乱勃発したピョートル3世僭称するカザークプガチョフ貴族根絶唱えてヤイク(ウラル地方)で反乱起こしたカザークだけでなくバシキール人カルムイク人そして不満を持った農民参加して急速に数を増した反乱軍モスクワを脅かす程の勢力になったが、政府軍によって鎮圧されている。だが、革命亡霊は彼女と後継者たち脅かし続けることになる。 反乱の拡大地方行政府の弱体にあると判断したエカチェリーナ2世地方行政改革着手し、「県行政令」を発布し貴族地方行政委ねただけでなく、エカチェリーナ2世権力基盤である貴族支持確固としたものにするため、貴族に諸特権与えた認可状出して広大な国有地下賜している。この結果多数国有地農民貴族農奴となり、農奴制がさらに強化される事態となった対外的には1768年オスマン帝国開戦し勝利し1774年締結されキュチュク・カイナルジ条約黒海北岸部を割譲させ、またクリミア・ハン国オスマン帝国宗主権下から離脱させた(第一次露土戦争)。クリミア・ハン国1783年ロシア併合されている。併合した領土は「ノヴォロシア」(新ロシア)と呼ばれたクリミア半島経営にはエカチェリーナ2世寵臣であるポチョムキン将軍があたり、開拓黒海艦隊建設進められた。オスマン帝国とは1787年再度開戦するが、イギリス・プロイセンがオスマン帝国支援しており、さらにスウェーデン参戦してロシア二正面作戦強いられた第二次露土戦争第一次ロシア・スウェーデン戦争)。スウェーデンとは以後内政干渉しないことを条件講和成立させ、オスマン帝国とは1791年ヤッシーの講和を結びオデッサを含む黒海沿岸地域獲得したまた、保護国化進んでいたポーランド・リトアニアには、即位翌年愛人スタニスワフ・ポニャトフスキポーランド国王擁立するポニャトフスキ国政改革着手したため、エカチェリーナ2世苛立たせた。このためエカチェリーナ2世ポニャトフスキ圧力をかけるとともに保守派への支援含めポーランド・リトアニアへの政治的支配強めていった。その後エカチェリーナ2世オーストリアプロイセン共謀して1772年1793年そして1795年3度渡ってポーランド・リトアニア分割しており、ロシア領土西方広げへて中欧進出する啓蒙君主として知られるエカチェリーナ2世だが、1789年フランス革命勃発すると強い衝撃受けて反動政策転じ自由主義思想弾圧した農奴制批判した思想家ラジーシチェフシベリア流刑処されている。 1796年11月6日エカチェリーナ2世死去した時、彼女の拡張主義政策により、ロシアヨーロッパ列強加わっていた。

※この「啓蒙専制主義と領土の拡大(1761年 - 1796年)」の解説は、「ロシア帝国の歴史」の解説の一部です。
「啓蒙専制主義と領土の拡大(1761年 - 1796年)」を含む「ロシア帝国の歴史」の記事については、「ロシア帝国の歴史」の概要を参照ください。

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