和風・唐風建築
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「長崎県指定文化財一覧」の記事における「和風・唐風建築」の解説
一覧外の国指定和風建築・唐風建築としては、重要文化財には長崎の旧唐人屋敷門、県内最古の農家といわれる旧本田家住宅、対馬の代表的農家に位置づけられる主藤家住宅がある。登録有形文化財には、明治中後期の和洋折衷住宅である佐藤家5棟、明治後期の商家である江崎べっ甲店が挙げられる。 名称位置指定日解説旧楠本家住宅 大村市玖島 2005年3月25日 東京府知事・衆議院議長を務めた旧大村藩士・楠本正隆の邸宅。明治3年(1870年)に落成した木造和風建築で、一部二階建の主屋と平屋の離れからなり、渡り廊下で結ばれる。敷地全体と合わせ、保存状態のよい武家屋敷として重視される。 旧松浦家住宅(千歳閣・九皐斎・玄関) 平戸市鏡川町 2010年3月5日 平戸藩最後の藩主・松浦詮の私邸で、松浦史料博物館として活用されている。明治26年(1893年)に落成した木造和風建築で、内装には洋風の技巧を採用している。国登録有形文化財より独立した玄関・母屋(千歳閣)・書斎(九皐斎)から成る。 旧小田家住宅主屋・奥座敷・土蔵 小値賀町笛吹郷 2017年2月16日 山下家のもと蔵 佐世保市江迎町長坂 潜竜酒造 1975年1月7日 山下家が元禄年間に創業した潜竜酒造が所有する醸造倉庫。もと蔵は創業時から使用されてきたといわれ、一部の改造や補修を除くと、原型をよく留めている。樽の据付や作業に邪魔な柱を省略するため、中央の通し柱に梁桁を架ける構造を取る。 中島聖堂遺構大学門 長崎市寺町 興福寺 1960年3月22日 正保4年(1647年)に儒学者の向井元升が後興善町に開いた孔子廟をルーツとし、正徳元年(1711年)より明治まで伊勢町に置かれた長崎聖堂の杏壇門。門扉に「大学」の一節が刻まれている。近代教育の普及で荒廃したため、興福寺に移築保存された。 旧日新館門 対馬市厳原町中村 1970年10月6日 対馬府中藩藩主宗氏の中屋敷に造営された藩校日新館の門。日新館は元治元年(1864年)に開かれ、尊皇攘夷藩士の拠点となったが、僅か半年後の甲子事変で粛清された。老朽化のために解体され、平成5年(1993年)に復元された。 興福寺三江会所門 長崎市寺町 興福寺 1962年3月28日 明治10年代に興福寺玄関書院跡に建築された三江会(江南・江西・浙江出身者)華僑の集会所。三江会所は原爆により大破し、門だけが現存する。大雄宝殿改修に来日した唐匠の手によって建築されたため、純唐風である。 椎根の石屋根倉庫 対馬市厳原町椎根 1977年1月11日 大正15年(1926年)に落成した石造防火防風倉庫。椎根で多数建築されたが、昭和年間に多くが解体・改造された。島内産の頁岩を成型した石屋根、高床、細分化された間仕切と、原形を留める個人所有の1棟が指定された。
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