和風・唐風建築とは? わかりやすく解説

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和風・唐風建築

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/24 15:58 UTC 版)

長崎県指定文化財一覧」の記事における「和風・唐風建築」の解説

一覧外の国指定和風建築唐風建築としては、重要文化財には長崎旧唐人屋敷門県内最古農家といわれる旧本田家住宅対馬代表的農家位置づけられる主藤家住宅がある。登録有形文化財には、明治中後期和洋折衷住宅である佐藤家5棟、明治後期商家である江崎べっ甲店挙げられる。 名称位置指定日解説旧楠本家住大村市玖島 2005年3月25日 東京府知事衆議院議長務めた大村藩士楠本正隆邸宅明治3年1870年)に落成した木造和風建築で、一部二階建主屋平屋離れからなり渡り廊下結ばれる敷地全体合わせ保存状態のよい武家屋敷として重視される。 旧松浦家住宅千歳閣・九皐斎・玄関平戸市鏡川町 2010年3月5日 平戸藩最後藩主松浦詮私邸で、松浦史料博物館として活用されている。明治26年1893年)に落成した木造和風建築で、内装には洋風技巧採用している。国登録有形文化財より独立した玄関母屋千歳閣)・書斎九皐斎)から成る。 旧小田家住宅主屋奥座敷土蔵 小値賀町笛吹郷 2017年2月16日 山下家のもと 佐世保市江迎町長坂 潜竜酒造 1975年1月7日 山下家元禄年間創業した潜竜酒造所有する醸造倉庫。もと創業時から使用されてきたといわれ、一部改造補修を除くと、原型をよく留めている。据付作業に邪魔な省略するため、中央の通し柱架ける構造を取る。 中島聖堂遺構大学長崎市寺町 興福寺 1960年3月22日 正保4年1647年)に儒学者向井元升が後興善町開いた孔子廟ルーツとし、正徳元年1711年)より明治まで伊勢町置かれ長崎聖堂杏壇門。門扉に「大学」の一節刻まれている。近代教育普及荒廃したため、興福寺移築保存された。 旧日新館対馬市厳原町中村 1970年10月6日 対馬府中藩藩主宗氏中屋敷造営され藩校日新館の門。日新館元治元年1864年)に開かれ尊皇攘夷藩士拠点となったが、僅か半年後の甲子事変粛清された。老朽化のために解体され平成5年1993年)に復元された。 興福寺三江会所長崎市寺町 興福寺 1962年3月28日 明治10年代興福寺玄関書院跡に建築され三江会(江南江西浙江出身者華僑集会所三江会所原爆により大破し、門だけが現存する大雄宝殿改修来日した唐匠の手によって建築されたため、純唐風である。 根の石屋根倉庫 対馬市厳原町椎根 1977年1月11日 大正15年1926年)に落成した石造防火防風倉庫根で多数建築されたが、昭和年間多く解体改造された。島内産の頁岩成型した石屋根高床細分化された間仕切と、原形留める個人所有の1棟が指定された。

※この「和風・唐風建築」の解説は、「長崎県指定文化財一覧」の解説の一部です。
「和風・唐風建築」を含む「長崎県指定文化財一覧」の記事については、「長崎県指定文化財一覧」の概要を参照ください。

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