古代の記述
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「ローマ・ウォルスキ戦争」の記事における「古代の記述」の解説
リウィウスによると、紀元前383年にローマの忠実な同盟市であったラヌウィウム(en)がローマに反乱しウォルスキと同盟し、キルケイとウェリトゥラエもローマとの戦いに加わった。ローマでは元老院の助言を受けて、トリブス民会が全員一致でウォルスキに宣戦布告を決定し、ポンプティヌス地域の土地分配のために5人の委員が選ばれ、またネペテ(現在のネーピ)の植民地建設のために3人の委員が任命された。しかし、同年にローマで疫病が発生したため、戦争を行うことはできなかった。この間に反乱植民市の平和派はローマとの講和を求めたが、戦争派の方が優勢であり、戦争派がローマ領土を襲撃したため講和交渉は終わった。紀元前382年、執政武官セルウィウス・スルピキウス・ルフスとガイウス・パピリウス・クラッススがウェリトゥラエへ進軍、残りの4人の執政武官はローマ防衛に残った。ローマ軍はウェリトゥラエ軍に勝利するが、そこには多くのプラエネステ(現在のパレストリーナ)兵が含まれていた。しかし、攻撃が成功するかに確信がもてず、また植民市を破壊したくなかったこともあり、プラエネステへの攻撃は行わなかった。執政武官からの報告によりローマはプラエネステに宣戦を布告した。ウェッレイウス・パテルクルスによれば、ローマはこの年に植民市セティア(現在のセッツェ)を建設している。 リウィウスとプルタルコスは同一の話を伝えている。紀元前381年にプラエネステがウォルスキと同盟し、リウィウスによると、ローマの植民市サトゥリクムを攻略した。この対策として、ローマはマルクス・フルウィウス・クラッススを6度目の執政武官に選び、元老院の特別例によりウォルスキとの戦争を担当することとなった(通常担当戦線はくじ引き)。同僚には、くじ引きの結果ルキウス・フルウィウス・メドゥリヌスが選ばれた。その後の作戦に関してはリウィウスとプルタルコスの間に若干の相違がある。リウィウスによると、両執政武官はエスクイリヌス門を出てサトゥリクムに向かった。兵力は4個軍団で、1個軍団は4,000の兵で構成されていた。サトゥリクムの敵軍は、兵力においてローマ軍に勝るように思われたが、ローマ軍は戦闘を熱望した。しかしカミッルスは戦闘を開始することを認めず、遅滞作戦を命じた。この命令に対してメドゥリヌスは怒り、カミッルスは老齢で行動が遅いと主張したため、兵はメドゥリヌスを支持するようになった。メドゥリヌスが戦闘の準備をしている間、カミッルスは強力な予備兵力を持って戦闘の結果を待った。ウォルスキは戦闘が始まってまもなく退却を開始したが、これは計画的なものであった。ローマ軍はこれを追撃し、高地にある野営地に向かって坂を上った。ウォルスキはいくつかの予備部隊を置いており、これらが戦闘に投入された。丘の上の優勢な敵と戦うこととなったローマ兵は敗走を始めた。しかし、このときにカミッルスが予備兵力を率いて到着し、敗走する兵に対しても持ち場に戻るよう命令した。歩兵が動揺する中、メドゥリヌス率いる騎兵部隊は下馬し、歩兵として戦闘に加わった。新手の戦闘参加にウォルスキ軍は敗北し、パニック状態となって敗走を開始した。野営地もローマ軍が占領した。多くのウォルスキ兵が戦死し、さらに多数が捕虜となった。プルタルコスによれば、カミッルスは病を得て、メドゥリヌスが指揮した戦闘の結果を野営地で待っていた。メドゥリヌスが敗北したとの報告が届くと、彼は安楽椅子から飛び起き、兵を集めて敵の追撃を押しとどめた。翌日、カミッルスは兵を率いて出陣、敵軍を撃破し野営地を占領した。その後、カミッルスはサトゥリクムがエトルリアに占領され、植民していたローマ人が全員殺されたことを知った。彼は軍の大部分をローマに戻し、彼自身と最も若い兵士のみでエトルリア軍をサトゥリクムから一掃した。カミッルスのサトゥリクムでの勝利の記述に続き、リウィウスとプルタルコスはラティウムのトゥスクルム(en)の併合の話を述べている。
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古代の記述
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ヘーシオドスの『神統記』では、カオスやガイア、タルタロスと同じく、世界の始まりから存在した原初神 (Greek primordial deities)である。崇高で偉大で、どの神よりも卓越した力を持つ神であった。またこの姿が、エロースの本来のありようである。 後に、軍神アレースと愛の女神アプロディーテーの子であるとされるようになった。またエロースはアプロディーテーの傍に仕える忠実な従者とされる。 古代においては、若い男性の姿で描かれていたが、西欧文化では、近世以降、背中に翼のある愛らしい少年の姿で描かれることが多く、手には弓と矢を持つ(この姿の絵は、本来のエロースではなく、アモールあるいはクピードーと混同された絵である)。黄金で出来た矢に射られた者は激しい愛情にとりつかれ、鉛で出来た矢に射られた者は恋を嫌悪するようになる。 エロースはこの矢で人や神々を撃って遊んでいた。ある時、アポローンにそれを嘲られ、復讐としてアポローンを金の矢で、たまたまアポローンの前に居たダプネーを鉛の矢で撃った。アポローンはダプネーへの恋慕のため、彼女を追い回すようになったが、ダプネーはこれを嫌って逃れた。しかし、いよいよアポローンに追いつめられて逃げ場がなくなったとき、彼女は父に頼んでその身を月桂樹に変えた(ダプネー daphne とはギリシア語で、月桂樹という意味の普通名詞である)。このエピソードが示す寓意は、強い理性に凝り固まった者は恋愛と言う物を蔑みがちだが、自らの激しい恋慕の前にはその理性も瓦解すると言う事である。
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