古代の記述とは? わかりやすく解説

古代の記述

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/24 15:37 UTC 版)

ローマ・ウォルスキ戦争」の記事における「古代の記述」の解説

リウィウスによると、紀元前383年ローマ忠実な同盟であったラヌウィウム(en)がローマ反乱しウォルスキと同盟し、キルケイとウェリトゥラエもローマとの戦い加わったローマで元老院助言受けてトリブス民会全員一致でウォルスキに宣戦布告決定し、ポンプティヌス地域土地分配のために5人の委員選ばれ、またネペテ(現在のネーピ)の植民地建設のために3人の委員任命された。しかし、同年ローマで疫病発生したため、戦争を行うことはできなかった。この間反乱植民市の平和派はローマとの講和求めたが、戦争派の方が優勢であり、戦争派がローマ領土襲撃したため講和交渉終わった紀元前382年執政武官セルウィウス・スルピキウス・ルフスとガイウス・パピリウス・クラッススがウェリトゥラエへ進軍残りの4人の執政武官ローマ防衛残ったローマ軍はウェリトゥラエ軍に勝利するが、そこには多くプラエネステ現在のパレストリーナ)兵が含まれていた。しかし、攻撃成功するかに確信がもてず、また植民市破壊したくなかったこともあり、プラエネステへの攻撃は行わなかった。執政武官からの報告によりローマプラエネステ宣戦布告したウェッレイウス・パテルクルスによればローマこの年植民市セティア現在のセッツェ)を建設している。 リウィウスプルタルコス同一の話を伝えている。紀元前381年プラエネステがウォルスキと同盟しリウィウスによると、ローマ植民市サトゥリクムを攻略した。この対策として、ローマはマルクス・フルウィウス・クラッススを6度目執政武官選び元老院の特別例によりウォルスキとの戦争担当することとなった通常担当戦線くじ引き)。同僚には、くじ引き結果ルキウス・フルウィウス・メドゥリヌスが選ばれた。その後の作戦に関してリウィウスプルタルコスの間に若干相違がある。リウィウスによると、両執政武官エスクイリヌス門を出てサトゥリクムに向かった兵力は4個軍団で、1個軍団は4,000の兵で構成されていた。サトゥリクムの敵軍は、兵力においてローマ軍に勝るように思われたが、ローマ軍戦闘熱望した。しかしカミッルスは戦闘開始することを認めず遅滞作戦命じた。この命令に対してメドゥリヌスは怒り、カミッルスは老齢行動が遅いと主張したため、兵はメドゥリヌスを支持するようになった。メドゥリヌスが戦闘の準備をしている間、カミッルスは強力な予備兵力を持って戦闘の結果待った。ウォルスキは戦闘始まってまもなく退却開始したが、これは計画的なものであったローマ軍はこれを追撃し高地にある野営地向かって坂を上った。ウォルスキはいくつかの予備部隊置いており、これらが戦闘投入された。丘の上優勢な敵と戦うこととなったローマ兵は敗走始めた。しかし、このときにカミッルスが予備兵力を率いて到着し敗走するに対して持ち場に戻るよう命令した歩兵動揺する中、メドゥリヌス率い騎兵部隊下馬し、歩兵として戦闘加わった新手戦闘参加にウォルスキ軍は敗北しパニック状態となって敗走開始した野営地ローマ軍占領した多くのウォルスキ兵が戦死し、さらに多数捕虜となったプルタルコスによれば、カミッルスは病を得て、メドゥリヌスが指揮した戦闘の結果野営地待っていた。メドゥリヌスが敗北したとの報告が届くと、彼は安楽椅子から飛び起き、兵を集めて敵の追撃押しとどめた翌日、カミッルスは兵を率いて出陣敵軍撃破し野営地占領したその後、カミッルスはサトゥリクムがエトルリア占領され植民していたローマ人全員殺されたことを知った。彼は軍の大部分ローマ戻し、彼自身と最も若い兵士のみでエトルリア軍をサトゥリクムから一掃した。カミッルスのサトゥリクムでの勝利記述続きリウィウスプルタルコスラティウムのトゥスクルム(en)の併合の話を述べている。

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古代の記述

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/14 06:40 UTC 版)

エロース」の記事における「古代の記述」の解説

ヘーシオドスの『神統記』では、カオスガイアタルタロス同じく世界始まりから存在した原初神 (Greek primordial deities)である。崇高で偉大で、どの神よりも卓越した力を持つ神であった。またこの姿が、エロースの本来のありようである。 後に、軍神アレース愛の女神アプロディーテーの子であるとされるようになった。またエロースアプロディーテーの傍に仕え忠実な従者とされる古代においては若い男性の姿で描かれていたが、西欧文化では、近世以降背中に翼のある愛らしい少年の姿で描かれることが多く、手には弓と矢を持つ(この姿の絵は、本来のエロースではなくアモールあるいはクピードー混同された絵である)。黄金出来た矢に射られた者は激し愛情とりつかれ、鉛で出来た矢に射られた者は恋を嫌悪するうになるエロースはこの矢で人や神々撃って遊んでいた。ある時、アポローンにそれを嘲られ、復讐としてアポローン金の矢で、たまたまアポローン前に居たダプネーを鉛の矢で撃ったアポローンダプネーへの恋慕のため、彼女を追い回すようになったが、ダプネーはこれを嫌って逃れた。しかし、いよいよアポローン追いつめられて逃げ場なくなったとき、彼女は父に頼んでその身を月桂樹変えたダプネー daphne とはギリシア語で、月桂樹という意味の普通名詞である)。このエピソードが示す寓意は、強い理性凝り固まった者は恋愛と言う物を蔑みがちだが、自らの激しい恋慕の前にはその理性瓦解すると言う事である。

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