古代の藤川と菅原道真の隠棲伝説
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「東郷町藤川」の記事における「古代の藤川と菅原道真の隠棲伝説」の解説
藤川の北部にある北野には太宰府から左遷された菅原道真が隠棲して現在の菅原神社(藤川天神)の地で没したという伝説が残されている。「東郷町郷土史」では菅原道真は高城の湯田港(現在の湯田町)に上陸し、藤川へ至る山道を歩み藤川の地にたどり着いたとする説を採用しており、他説として出水の荘から田代(現在の阿久根市)・吉川(現在の城上町)を経て藤川に至った説についても紹介している。また、藤川天神の境内にある「藤川天神の臥龍梅」は菅原道真が手植えしたという伝説が残る。 「菅原道真#薨去の地に関する伝承」も参照 しかし、菅原道真の隠棲伝説については文化3年(1806年)に編纂された「薩藩名勝志」の藤川天神に伝説に関する記載がなく、天保14年(1843年)の「三国名勝図会」に記載された伝説が文献上での初見であるとされている。菅原道真の伝説について「東郷町郷土史」では否定的な観点から、源義経や安徳天皇、豊臣秀頼、西郷隆盛などの悲劇の英雄に関する伝説を例に一種の英雄崇拝・悲劇愛好的県民性からこのような薩摩隠匿伝説が生まれたのではないかとしている。 また、藤川は古くは太宰府天満宮(安楽寺)領であったとされ、地内に寺領を管掌する治所があったであろうとされている。「東郷町郷土史」によれば、藤川の北迫にある若宮神社なども寺領関係の家臣やその家族のものであろうと推測されているほか、藤川天神が鎮座する北野の地名も北野天満宮に由来するのではないかとしている。但し、鹿児島大学の日隈正守は、藤川が太宰府天満宮安楽寺領が多くあった高城郷ではなく東郷別符であったことなどの理由を挙げて太宰府天満宮領ではなく太宰府天満宮安楽寺の末寺である薩摩国分寺領であったのではなかろうかと考察している。
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