反乱の狼煙とは? わかりやすく解説

反乱の狼煙

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 06:11 UTC 版)

平清盛」の記事における「反乱の狼煙」の解説

詳細は「治承・寿永の乱」を参照 平氏独裁に対して反抗第一波となったのは、後白河法皇第3皇子以仁王の挙兵であった以仁王は優秀であったが、平氏方である建春門院圧力親王宣下受けられず、八条院の猶子となって即位機会伺っていたものの、今回クーデターでその望み絶望的なものとなっていた。以仁王には、八条直属武力ともいえる源頼政下河辺行義足利義清源仲家などが付き従い平氏反発する興福寺園城寺もこの動き同調した。この計画未然発覚し清盛の手早い対策により、検非違使平氏家人藤原景高伊藤忠綱が300騎の兵で追撃して以仁王と源頼政らを討ち取った。 しかし、寺社勢力、特に園城寺と同じ天台宗で親平氏延暦寺でも反平氏勢力の動きがあり、清盛は有力寺社囲まれ平氏にとって地勢的に不利な京都放棄し6月一門反対押し切り平氏の拠点である国際貿易港の大輪田泊現在の兵庫県神戸市和田岬付近)を臨む地への遷都目指して、福原行幸強行する。 しかし、以仁王の令旨全国各地飛び火して、8月には伊豆流されていた源頼朝武田信義棟梁とする甲斐源氏9月には信濃国において木曾義仲挙兵する。これに対して清盛頼朝らの勢力拡大を防ぐため、平維盛総大将とした大軍関東派遣したが、富士川の戦いでは交戦をせずに撤退してしまった。 この敗戦契機として寺社勢力、特に以仁王反乱協力的であった園城寺興福寺不穏な動き見せ始める。さらに、近江源氏蜂起し園城寺延暦寺の反平氏分子提携して物流要所琵琶湖占拠し反乱勢力旧都攻め落とす勢いにまで成長したまた、九州でも反乱勃発高倉帝公家衆、さらに平氏一門延暦寺からも遷都望まない声が高まり11月23日清盛平安京還都する。 12月になると、清盛平知盛平資盛藤原清綱らが率い軍勢差し向けて園城寺焼き払い近江源氏山本義経柏木義兼打ち破って近江平定成功する近江攻防)。次に清盛標的としたのは、畿内最大の反平氏勢力・興福寺であった清盛背後脅威一掃することを決め重衡総大将とした大軍南都派遣12月28日興福寺東大寺など南都の諸寺を焼き払った確かにこれにより都周辺の反平氏勢力の動き鎮静化したが、この南都焼討では数千もの市民犠牲とし、同地方にある大仏の殆どを焼失させる惨事となり、清盛自身も「仏敵」の汚名を着ることとなった

※この「反乱の狼煙」の解説は、「平清盛」の解説の一部です。
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